2010年10月21日木曜日

10月21日

朝:アーカイブで仕事。あまりはかどらない。
昼:研究室のあるVillaでBrasilian Lunch。なかなかおいしかった。ただ、小豆でソーセージを煮た料理があり、それだけは手を付けられず。
なお、昼休みに、Commissionから出向中のFellowの人にComitologyは訳が分からないということを言ったら、その後、すでにCommissionを退いたSenor Fellowの人が昔Cmitology関係で働いたことがあるから彼に聞いてみるといい、と教えてくれた。六月に一回だけしゃべったことがあった人だが、糸口が見つかるといいなあ。問題は何を聞くか、だ。
午後:これからMentorのセミナー。今日のテーマは国際関係史における「文化」の位置づけ
*セミナー後の追記
 今日の論点
(1)IRにおけるCultural なTheory(どうもコンストラクティヴィズム)と歴史研究をどうIntegrateさせるか?
  ←議論が空中戦であまり進展せず。Mentorの先生より、では歴史研究で歴史学以外の学問に影響を与えたTheoryってありますか?の問い。みんな(自分も含め)答えられず(歴史学にとって大事なのはApprocheはあってTheoryではないのでは、という回答をした人あり)。考えてみれば、MarxもWallersteinも歴史的思考としては大きな影響を与えているが、「歴史学」ではないよな。
(2)文化の定義
 文化をどう定義するのか、という論点に次に移ったが、最初の人が一言Common senseと言ったあと議論をフォローできず。Common senseではないだろう、と思ってしゃべろうとしたのだが、議論の進展がどうも分からず入っていけない。こういうときは、最初に戻るんだけど、と一言言えばいいんだろうけど後の祭り。
 その後、文化を分析対象とするのか文化そのものを分析するのかの違いの指摘や、国際関係史における文化の使い方は、いわゆる因果関係の同定というよりかは影響・受容の作用を考える時に使われる、という話に。
 全体的に、今日のKick-offコメンテーターを務めた院生の博論テーマが冷戦期におけるアメリカのプロパガンダのフランスとベルギーへの浸透・影響というもののため、この人の研究の周りでぐるぐる話が回転している感じだった。
 
 自分としては、「文化」と呼ばれるものの中に入っている現象があまりに多様で、そのあたりの類型化を先にしなければならないのでは、ということと、セミナーで扱った文献は基本的に「文化」をさまざまな人間集団が共有可能なものとして考えている前提に立っているが、どうもこれには違和感があった(クリストファー・ソーンの『太平洋戦争とは何だったか』は共有不可能な文化観念というテーゼを出していることを文献では扱っていたのだが、これに言及した人はいなかった)。ということをセミナー中に話せばよかったのだが、タイミングがつかめず失敗。そのことをセミナー後にMentorの先生と少し話した時に、「あまり気にせずとにかく議論に参加してね」と言われる。

 セミナーが終わったら、昨日結局いけなかった例の契約に行こう。

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