2011年2月27日日曜日

複数のヨーロッパ

いつの間にか、アマゾンにページが出来たようです。
日本語によるヨーロッパ統合史研究の新鋭(私を除く)たちによる掛け値なし先端的論文集ですので、どうぞみなさん買ってください。

自分としては、執筆要綱をほとんど無視した分量を載せていただいたことが本当にありがたかった半面、それでもいろいろ書き足さなければならないところが多すぎて、荒削りすぎる論稿だったなあ、と反省しております…。

2011年2月26日土曜日

ドイツはまだ冬だった

フランクフルト周辺は雪が舞い散り、ライン川は雪景色。気温は到着日には昼も0度くらいで、完全に風邪をひきました。月曜日には、さらに寒いベルリンに行くかと思うと気が重い…。

2011年2月23日水曜日

フィレンツェはもう春

昼間はかなり暖かく上着はいらないくらいになりました。朝晩はその代わりかなり冷えこんで寒い…。

明日からは、ドイツ、コブレンツ・ベルリンからパリ経由で再度ベルギーへ。ルーバンとベルギー外外務省に初挑戦。

研究室に行く途中の小路から見える風景

2011年2月22日火曜日

フランス外務省アーカイブについて

フランス外務省アーカイブを利用するにあたって個人的留意事項(他の文書館の記述と比べると手抜き)

フランス外務省アーカイブは、1年ほど前に、本省のケドルセの一角から郊外に移転し、大きく利用方法が変わった。以前は不便でかつ説明が必要な複雑な利用手続きだったが、郊外に移転以降は、通常の(他のヨーロッパのアーカイブと比べて)使い方になった。

■サイト(閲覧室情報)はこちら。昔と比べ、かなり情報が増えている。

■開室時間
月~金: 10:00 ~ 17:00(初回登録室は9:30から開始)

・事前問い合わせは、しておいた方がベター。最近は親切になっており、関係史料を向こうがピックアップしてくれ、さらに訪問日に合わせて予約もしてもらえる。
 事前問い合わせをしていなくても利用は出来る。

・入口のボタン(Appel)を押すと扉があき、アーカイブに用事があると告げる。初回時だとパスポートの提示を求められる(利用者カード作成後は、この時点では利用者カードの提示のみでOK)。セキュリティーチェックを受けて中に入るとまず中庭。そこから建物に入ると左側の受付には行かず、まず右側の登録コーナーに行って利用者カードを作成する(要パスポート)。フォーミュラを記入して、10分程度で完了。カード作成後は、荷物をロッカーに入れて、受付に行って扉の開け閉めに使うパスをもらう(要パスポート)。閲覧室内への荷物持ち込みは実質チェックがない。

・パスをもらって自動改札の中を入ると一階(日本式だと二階)に上がる。カタログ室が真ん中にあるので、まずカタログをチェック。注文は、カタログ室内のPCからタレーランという特別ソフトを使って行う。史料の注文は一回に三個まで、最大(確か)9個確保できる。確保できる数については不確定情報なので、その程度ということでご理解ください。手元には一個しか参照できない。

・紙史料とマイクロ史料に大きく分かれ、マイクロ史料は自分で棚から取って閲覧できる。紙史料については、注文から1時間程度で到着。ただし午後の遅い時間(16時)の注文分は翌日に。

・紙史料は、入っているのがファイル形式ならDossier、ボックス形式ならCartonと言う。Dossierの場合は言っている史料の枚数はピンきりだが、Cartonの場合普通500枚近くある。

・最寄駅は、RERのB線、La Courneuve - Auberviller駅、徒歩3分。この駅はシャルルド・ゴール空港の空港駅からパリ市内までの中間にある。当駅のパリ側の駅前広場改札(ホームから階段を降りて左側)から出るともっとも行きやすい。
 この駅はいわゆる郊外に近く、上品なフランス人というよりも移民系の人たちでごった返しており、スリやカバンの強奪には気を付けた方がよい。知り合いというほどの知り合いではないが、とあるフランス人研究者(女性)は、二度ほどPCが入ったカバンを強奪されそうになったそうである。

・毎回必ずパスポート持参。

・食堂があるが外務省職員対象で、アーカイブ利用者は定食を頼むと外部料金が課せられ10ユーロくらいする(12時から13:45分まで)。それ以外に、コーヒー・ソフトドリンク、お菓子、サンドイッチの自販機が置かれているリラックスコーナーがある。一日滞在する場合は、市内でサンドイッチを買うか、自販機のものを購入するのがよいと思われる。

■一言
ケドルセにあったころは、一時間に一度の出入りで、注文したその日に文書が読めず、デジカメは禁止でコピーは一日4時間のみ、しかも一回に二人のみしか利用できず、席に限りがあるので昼過ぎに行くと入れなかったり、と、大変使い勝手の悪いアーカイブとして有名だった。しかし、自分はそこが初めてのアーカイブだったので、それを基準として他のアーカイブを見ることになった。だから、自分の場合、大抵のアーカイブは大変使い心地がよい。入る前にいつも一杯のエスプレッソを引っ掛けたGare des Invalides内のカフェや、狭いがゆえにいつも熱気あふれていた閲覧室や、何故かトイレから見えるエッフェル塔や、一日が終わって外に出ると見えたアレクサンドル三世橋の美しさなど、懐かしい思い出があふれている。

2011年2月21日月曜日

シャルルドゴール空港ターミナル2G

フランスの窓口、パリ郊外のシャルルド・ゴール空港(CDG)は、大きく分けてターミナルが二つあり、ターミナル1は日本で言えばANAが、ターミナル2にはJALが入っている。ターミナル1の方が古く、2の方が新しいばかりか近年2の中に次々と新しい小ターミナルを建築しており、AからGまである。このうち、2のFはエールフランスおよびコードシェア便が使用され、2のEはJALの羽田便が使用中のはず。
で、問題は2のGである。このターミナルは最近作られた、シェンゲン圏内専用ターミナルで、そのためパスポートコントールがなく使用する会社はすべて(たぶん)エールフランスの子会社のCity Jetの便である。エールフランスは、格安航空会社に対抗するためヨーロッパ圏内のチケットをかなり安く販売するようになった(ただし、値段の設定は取る日付や席数によってかなり変動があり、たとえばパリ=フィレンツェ間は一週間後の出発日の設定でエコノミーを変更不可で取れば往復税込200ユーロ程度で済むが、直前の日程だとこれが500ユーロくらいに跳ね上がる)。安く済ますための格安航空会社を子会社として独立させ、その専用ターミナルまで作ったのだ(たぶん)。それがターミナル2Gである。で、このターミナル2Gは、他のターミナルと比べて離れている。具体的には、歩いて移動する手段がない。他のターミナル2A~2FまでがRERの駅を中心に歩いて移動できる距離に作られているのに、シャトルバスでしか移動できない(それも、バスで7-8分かかる)距離に作られているので、個人的には、これはターミナル2ではなく第三ターミナル(追記:実際のところ、本物の第三ターミナルは存在するがそれは別物)とすべきではないかとさえ思う。

で、何を書きたいのかというと、RERもしくはバス等の公共交通機関を使ってパリから移動してきた人が、どうすればもっとも簡便にターミナル2Gに移動できるか、ということなのです。

なぜなら、ターミナル2Gは、他のターミナルから斯くも離れているために、移動が分かりにくいのです。なにより、ターミナル2の中を移動するナヴェットは2種類(N1とN2)あるのですが、そのうちN2しか2Gにはいかないのです。さらに、RERの駅を降りると2Gはあちら、という標識がありますが、それに従うと、実は大変遠回りするのです(私はその被害者)。

また、2Gのシェンゲン圏移動専用ターミナルという性格上、日本人が使用することはあまりなく、使用する人は、(今の自分と同じく)ヨーロッパ居住者ということになるでしょうが、何かの拍子にこのターミナルを使うことになったら大変戸惑うはずです。自分も、最初はどうすれば最善かわからずネットで検索してみましたが、あまり情報がなく、手探りで使っていくうちに、たぶんこれが最も簡便、というルートを確立したのです。

で、自分が考える最短ルートは、ターミナルEにあるナヴェット(シャトルバス)乗り場から乗るべし、というものです。RER利用でCDGに着いた場合、2Fと一緒に2Gはこちら、という標識がありますが、それを無視して2Eに向かいます。動く歩道沿いに2Eに着いたら、出発ロビーですが、建物の外に出ましょう。2G行きのN2のナヴェット乗り場があるはずです。ここでまつと、次が2Gなので、バスが来てから10程度で2Gにつきます。N2は2F→RER・TGV駅→その他のターミナル(A・D等)→2E→2G→2Fと言う風にぐるぐるとターミナル間を回っていくので、2Gに最短距離で着くことができます。
バス(ロワッシーバス、エールフランスLes Cars)の場合も、ターミナル2E・2F降り場で降車して、2Eに向かいましょう。

というわけで今日フィレンツェから2G経由で帰宅しました。ハプニングとしては、2Eの中を通ろうとすると、サブマシンガンを携えた軍人さんに、ここは入っちゃダメ、といきなり制止され、仕方がないから外に出てN2を待っていたら、バスが少し向こうに止まり、バスに向かおうとすると同じく、ベレー帽をかぶった軍人さんにサブマシンガンで制止されて、いやあのシャトルバスに乗りたいだけだ、と訴えると行かせてくれた。2Eはどうも爆発物らしいものでもあったのか、がらーんとして、一角に押し出された乗客が密集していた。空港利用のリスクを感じた瞬間だった。

(2月26日追記)
・シャルル・ド・ゴール空港のターミナル間の移動(ターミナル1からターミナル2)は無料のトラム(CDG-Val)が便利。CDG-VALに乗ってターミナル2まで移動した後、上記の方法で行くとよい。もちろん、CDG-VALのターミナル2駅のすぐ近くにもN2のバス停は存在する。
・このページの地図を見れば、いかにターミナル2Gが他のターミナルと比べて隔絶したところにあるのかが分かってもらえるのではないかと。
・ターミナル2Gは、フランス語発音だと「テルミナル・ドゥ・ジェ」てな感じ。

2011年2月20日日曜日

今はパリ

今はブリュッセルから南下してパリに。自宅があるので出張中、という感じではなくなる。
パリ滞在中はAN(CARAN)、外務省、社会党アーカイブに。後者二つについては、ほどなく手して利用感想(案内)を書く予定。

それにしても、パリ-ブリュッセル間は近い。TGVでわずか1時間20分で到着する。近いばかりか文化的にも近接しているのであんまり国を移動した感覚もない。でも、ブリュッセルの本屋では、「なぜベルギー人はフランス人にはなりたがらないのか」という本も売っていた。食指が動いたが、すでにかなりの本を買っていたので今回は控える。

で、それは大正解だった。ブリュッセル最終日は、地下鉄がストで全面ストップで、雨は降るし、本の重みで片手で持てないスーツケースを抱えながらタクシーを捕まえようとしたら、行き先を聞かれて、Midi駅まで、というと知らぬ顔してどっかに行かれるのが何度も。近すぎで乗せてくれないのだ。
アーカイブ終了から出発までかなり余裕も持ってチケットを取ったのに、そして実際4時間くらい間があったのに、タクシーを求めてその後はひたすら奔走して、結局Midi駅に着いたのは出発30分前。

それにしても、自分がブリュッセルを離れたら、その次の日?にはベルギー分裂反対のデモがあったり、自分がフィレンツェ不在時に長友がフィオレンティーナと対戦したりと(フィオのホームは我がアパートの隣)、ツキがない。

(2月20日に誤字脱字等修正)

EUIアーカイブ(EU歴史史料館)

アーカイブ名 Historical Archives of European Union
サイト http://www.eui.eu/Research/HistoricalArchivesOfEU/Index.aspx
開室時間 月~金 8:30-17:00(内昼休み=12:30~14:00までは史料の注文受付不可)
■住所 
Villa Il Poggiolo Piazza Edison 11 50133 Firenze
以前自分が書いた論稿の中で、このアーカイブ(HAEU)がある街をフィエゾレと書いたが、フィエゾレではありません。あれは間違いでした。この場をお借りして深くお詫び申し上げます。

■作業言語
アーカイブの中の人たちは英語が問題なく(ネイティブではない人が大半だが)出来る。フィレンツェに住んで働いている関係上、イタリア語もほとんど問題ない(イタリア人は多い)。フランス語が出来る人もかなり多い。

■アクセスおよびフィレンツェ内の移動
市内からはバス7番のPiazza Edisonで降車。降車後は、進行方向に向かって左手の横断歩道を渡って進行方向へ(ほんの少しだけ坂道)を歩くと、丘に続く道の付け根にあたる場所に大きな門が見える。標識も掛っている。門の中へ入ったら左手に階段が、右手に車道が続いています。車道を行くと回り道なので階段を上っていきましょう。藪の中を少し上ります。足場は悪く、初夏や夏場だと木や草がうっそうと茂っていて、どこの森に迷い込んだのかという錯覚に陥ることもある。

門からアーカイブまでにある藪
建物へはインターホンを鳴らさないと鍵が開かない仕組みになっています。インターホンは押すと誰かが必ず開けてくれます。扉をあけるとすぐに階段があるので、階段を上がりましょう。ロッカーがあるので、ロッカーに荷物を入れて、最低限の荷物だけ持って閲覧室へ入ります。
 7番のバスは市内のPiazza San Marcoから出ていますが、Via Marmoraに乗り場があり、多くの乗り場がある所ではないことに注意。
 バスのチケットは、バスの中で運転手から買うこともできるが、一回2ユーロと高いので、San Marco広場の自動販売機、フィレンツェのターミナル駅(サンタマリアノヴェッラ)構内のバス会社のチケット売り場、もしくは市内各所にあるTabacchi(タバコ屋というと語弊があるのでタバッキと記す)で購入できる。4回券もしくは10回券が便利。

 今の建物からは、2011年の夏以降に引き払い、もっと市内からのアクセスが悪い、しかし非常に立派な建物に引っ越す予定です。

■HAEUには何が所蔵されているのか。
HAEUの所蔵文書は大きく分けて三つの種類があります。
(1)第一にはECと呼ばれる、EU関係機関(前身を含む)の文書。これは、委員会文書(BAC、CEAB)、理事会文書(CM1、CM2、CM3)といったブリュッセルにある文書をマイクロ化して体系的に移送(Transfer)されるものにくわえ、AC(ECSCの総会)、AD(欧州政治共同体交渉時のアドホック議会)と言ったもの、さらに社会経済評議会等、EUの周辺機関の文書も所蔵しています。
大雑把にいって、このEC文書では、ブリュッセルに偏在している各文書を一か所に収集することでヨーロッパ統合史研究の利便を図る、という趣旨のもとで文書が収集されるようです。
(2)第二には、DEPと呼ばれる、ヨーロッパ統合に関係する個人の私蔵文書、機関の文書です。前者の個人文書は、たとえばヴェントテーネ宣言を執筆した一人スピネッリや、長年EECの事務局長を務めたノエルなどがあります。後者の例としては、有名ですが、OEEC(OECD)文書があります。
・個人的印象として、近年増加の一途をたどっているのがこのDEPのプライベート文書です。とにかく、統合に深くかかわった政治家・官僚が多く史料を寄贈しており、その多くは政府文書の30年ルールにかかわらず公開されているので、DEP文書をうまく活用すると、政府文書が公開されていない時期を研究することができる可能性があります。
(3)第三には、COLと呼ばれる、個人が収録した幅広い史料の公開およびEU加盟主要国(仏独伊)+アメリカ・ロシアの公文書館(国立文書館や外務省文書館)に収録されているヨーロッパ統合関係文書を大量に複製して所蔵しているものです。特に注目すべきは後者で、しかも年々所蔵史料を増やしております。代表的なのはフランスの史料で、AN(フォンテーヌブロー含む)のSGCICEE(ヨーロッパ経済問題のための省間会議)史料、仏外務省の経済局対外関係課(仏外務省で欧州統合問題を実質的に仕切っている部局)が年々公開しております。EUIに入っているものは、オリジナルなアーカイブでもマイクロで公開されておりますし、そのマイクロには、EUIのお金でマイクロ化されました、と丁寧に説明も入っております。
フランスはかなり協力的なのに比べると、イギリスは一切協力していません。アメリカのNARAでさえあるのに(しかもEUIのイントラネットでかなり史料を閲覧可能)。西独のは、PA/AAのシューマンプラン文書のみ。


■事前問い合わせ
一応ホームページでは事前の問い合わせをすること、と書いてあるが、このアーカイブでは必須ではない。でも、基本的な礼儀として事前に訪問日時、テーマをメールしておくとよい。
■文書の注文方法
カタログは、完全にオンライン化されている。関係する政治家や機関のカタログから探っていってもいいし、検索エンジンから調べてもよい。
・ひとつ注意してほしいのは、カタログが置いてあるページには、リンクをたどっていくタイプとPdfファイルとの二つがあるが、リンクをたどっていくタイプの方がアップデートされている。たとえばEmile NoelのFondsのPdfファイルのカタログはひとつ前のヴァージョンである。
・文書を注文する場合は、閲覧室の中に大量の紙が置いてあり、その紙に史料番号・注文日付・氏名を書いて受付に渡す。

■閲覧待ち時間・数量等
注文から持ってくるまで5分から10分程度。一回に手元に置けるのは3個まで。ただし、マイクロだと、いくつかの史料が連続しておさめられている場合が多い。

■複写
・紙史料の場合、複写は史料を指定して掛りの人にやってもらう。複写を申請するための特別なフォーミュラはない。
・複写できる枚数は細かく規定されている。COLおよびDEPの場合、それぞれのFondsで年間500枚まで。各国の外務省資料の場合はさらに枚数が低く設定されていることもある。共同体史料(EC)の場合は、複写枚数に制限はないがお金はかかる。
・ただしデジカメの場合どのように管理しているのかはよく分からない。なお、多くの史料はマイクロ化されている。マイクロ史料の場合は、その場で落としていって、帰るときに枚数を自己申告する。
複写料金は、一枚につき0,08ユーロ。100枚を超えるごとに清算。
・なお、閲覧室に備え付けの蔵書(下記参照)のコピーについても同様。この場合は、掛りの人にカードをもらって自分で複写する。枚数は終わった後に自己申告する。

■その他
閲覧室の上の階に、コーヒーとお菓子・ミネラルウォーターの自販機が置いてある部屋がある。冷蔵庫・電子レンジも完備。すこし休憩する際に有用。
お昼は、市内でサンドイッチ等を買ってきて食べるのでなければ、いったん建物の外に出る必要がある。Piazza EdisonにはOsteria(小レストラン)もあるし、Focaccariaも最近オープンした。個人的にお勧めなのは、Piazza Edisonから少し下ったPiazza San Gervasioの角にあるFocacciaria。小さな店だが、フォカッチャをその場で作ってくれたり、ピザの切り売り、簡単なパスタ、Primi Piatti(ソテーした肉と野菜などお摘み的食事)が食べられる。基本イタリア語。
時間に余裕があるなら、7番のバスに乗ってさらに丘の上に上がり、San Domenicoで降りてEUIのBadiaにある学食に行く、という選択もある。部外者であっても堂々と食べていいのではないかと思うがどうだろか。パスタ+小皿(サラダ、ヨーグルト、果物、デザートの中から二つ選択)で5ユーロちょっと、メインディッシュ(肉等)+パスタ+小皿(ひとつ)で7ユーロちょっと。

■個人的感想
もう少しで移動するが、個人的には思い出深い文書館である。最初に訪れたのは2001年の2月で、閲覧室の窓から見えるドゥオーモの美しさには溜息が出た。
10年前に比べると比べ物にならないくらい、個人文書が充実するようになった。カタログが出ているものは基本的に読めるので、文書によっては1980年代や90年代の史料も閲覧可能である。まずサイトのサーチエンジンでいろんなキーワード検索をして関連文書を調べて、閲覧史料にあたりを付けておきたい。なお、キーワードは、英語よりもフランス語やドイツ語、イタリア語などいろいろ変化させて調べることがコツである。基本的にイギリスが参入する70年代以前、英語の史料はイギリス関連資料以外では皆無と言ってよい。イギリスがECに参加しても、共同体の多くの官僚は大陸系の人間であるため、内部資料が英語で作成されるのは80年代を待たないといけない。

BACやCM2などは、時間と金銭的余裕が許されるのであれば、ブリュッセルのコミッションアーカイブとカウンシルアーカイブに行くことをお勧めする。フィレンツェにあるのは部分的なものだからだ。
それに、どちらの資料館も複写料金はかからない(タダ)し、設備も新しい。残念ながら、フィレンツェのアーカイブのマイクロリーダーは古くて複写の性能はよくない。
多くの閲覧者はマイクロをデジカメで撮っているが、個人的には私はお勧めしない。理由は、あとで読むのが本当に大変だからである。いくら一年に一回しか来れないとしても、正直、後でPC上で読もうとしてくじけそうになったのは一度や二度では済まない。しかし、デジカメに取らなければ仕事にならないのもまた事実である。

閲覧室は、統合史関連の専門書・回顧録等を配架した本棚に囲まれている。その意味で、ここの閲覧室は統合史専門のミニ図書室ですらある。少し疲れたら、書棚を眺めるだけでいろんな発見があり、これがまた至福の瞬間でもある。
閲覧室を外から眺める

2011年2月15日火曜日

ベルギーの閣議議事録がオンラインで読める

知らなかった。すごいな…。世の中本当に知らないことだらけだ(ちょっと意味が違うかな、でも自分に限っては一事が万事そんな感じだ)。

http://extranet.arch.be/lang_pvminister.html

今回は、本当はLouvain-La-Neuveのアーカイブに行く予定だったのが、必要書類が出発までに間に合わなくて保険でかけていたEU委員会の方に行ったので、ほどなくしてまた再挑戦の予定。

2011年2月14日月曜日

EU委員会歴史文書館利用案内

というわけで、ブリュッセル訪問の目的である、EU委員会のアーカイブの利用案内について書いてみようと思う。

名前 European Commission Historical Archives (ECHA)
サイト http://ec.europa.eu/historical_archives/index_en.htm
住所 Rue Van Maerlant, 18 (VM18) - 1040 - Bruxels, Belgium
    最寄りの地下鉄:Maelbeek駅徒歩3分
開室時間 月~木:9:00-17:00
       金  :9:00-16:00
(途中、12:30-14:00の間は昼休みだが閲覧室が閉まる訳ではない)
その他、閲覧室に関する諸情報はこちらのページ参照。

■アーカイブの性質
このアーカイブは、ECSCの最高機関(Haute Autorité)、Euratomの委員会、EEC以降の委員会(Commission)に関する(正確には、これらの機関に残された)史料を整理・編纂・公開している。史料の整理の仕方は、ECSCの最高機関文書はCEAB、EEC/EURATOM/ECの委員会はBACという大分類で統一され、その下には、管轄する局(EEC以降は総局DG)および官房(現在は60年代マンスホルト=農業とMarjolin=財政通貨)文書ごとに大番号、その下に時代や文書の種類等によって小番号、そして文書史料番号、という三段階式の整理となっている。たとえば、BAC 26/1960 No.35、という風である。小番号はしばしば1950台~1970台のことがあるが、これは年代を意味する訳ではない。
ECHAが所蔵している史料は、データベース上でオンラインで検索できる。このシステムはARCHIplusと呼ばれる。

■事前問い合わせ
ECHAを訪問する場合、事前の問い合わせは必須である。これには二つの理由がある。
まず、ECHAは、閲覧室のある建物にすべての史料を置いている訳ではない。多くの史料はマイクロ化されているが、それでも紙媒体の史料は数多く存在しており、そのような紙史料の大半はブリュッセル郊外の倉庫に保管されている。そこからの移動には最低でも2日ほどかかるので、現地に着いてからあれもこれも、と注文していたのでは時間が足りなくなってしまう(もっともアーカイブは親切なので、時間の許す限り閲覧者側の注文を最大限実現しようとしてくれる)。
第二の理由は、このアーカイブは、所蔵する史料カタログをオンライン検索できるようにしているが、これはすべてではない。自分のテーマをアーカイブに連絡すれば、オンライン検索に引っかからない史料まですべてそろえてくれる。しかも、その量は尋常ではない。
メールのやり取りなども含め、どんなに遅くとも、2週間前には問い合わせが必要である。可能なら、一か月前が望ましい(これはどのアーカイブについても言える)。

■アクセス
最寄りの駅MaalbeekのEtterbeek方面の出口を出て右に曲がると、下り坂の向こうに教会らしき建物があることにすぐ気付く。この教会が閲覧室が入っている建物の一部となっており、教会目指して歩いていく。
アーカイブの入った建物

閲覧室は、数多く存在するコミッションの建物の一角を占めており、それゆえ、建物に入る際、セキュリティーチェックがある。空港ほど厳密ではない。パスポート必須。建物の入口に警備員がいるので、アーカイブに用事がある(J'ai rendez-vous avec les Archives)と言えばセキュリティーチェックを受ける。閲覧室へは、職員が誰か迎えに来てくれるので、その人についていく。ロッカーは閲覧室の手前にあるが、貴重品を置いておきたい、というのでなければ、別に預けなくてもよい(荷物をそのまま持って入ってよい)。

■史料の注文
事前に問い合わせをして向こうが用意した史料を全部読んでしまった、もしくは空けてみてあんまり関係がなく、もっと別の史料が読みたい、ということであれば、ARCHIplusで再検索するか、アーキビストに相談する。ARCHIplusに引っかかる史料は、多くはマイクロになっているが、マイクロの場合は閲覧室に置いてあるので、すぐに出してくれる。紙史料の場合、前述の通り、もし郊外の倉庫に置いてある場合は、しばらく(二日ほど)待たなければならない。

■史料の複写
ECHAでは複写は完全自由かつ完全無料である。無料とは、備え付けのマイクロから紙に落としても、PDFにも落とせるが、どちらも無料であるし、コピー機が一台あるのだが、それも自由に使える。もちろんデジカメもOKである。

■ブリュッセルへの/内の移動
・実は自分はブリュッセルへは他のヨーロッパからの移動で来ることがもっぱらなため、ブリュッセル空港から市内に移動したことは一度しかない。空港から市内の主要駅には直通列車があるが、チケットの窓口が閉まっていたのに、チケットの自販機は国内銀行の口座引き落とししか使えず(大陸ヨーロッパではよくある)、仕方がないので車掌から買おうと思ってそのまま乗ったら、案の定車掌が回ってきて乗客はみんな車掌から買っていた。しかし、電車のチケットを車掌から帰るかどうかは各国で異なり、載った時点でチケットを買っていないことが分かったら300ユーロほどの罰金を取られることもよくある。そのあたり、ベルギーは緩いのかもしれない。
・国際列車のターミナルはBruxelles Midi(南駅)だが、Midi周辺はあまり治安がよろしくない。安い宿もあるのだが、同じ安さであるなら他の地区の方がよいと思う。女性であればなおさらである。
・国際列車のターミナルではないが、中央駅(Bruxelles Central)の方が、街の中心に位置し、何かと便利である。
・ブリュッセル市内の移動は、バスか地下鉄かトラムであり、チケットは共通である。回数券も打っているが、ここにもスイカ的非接触型カードが使われ始めている。しかもそっちの方が安い。ブリュッセルには一週間いたことがないので週間券を買ったことがない。大体10回券(回数券)を使用。
・ブリュッセルはビジネス客が多いためか、あまり安いホテルがない。安いところは質もよくない。ここら辺は悩みどころである。
・食事はアーカイブ調査の際の大きな悩みの一つで、自分は胃腸にやさしい中華・アジア系を食べることが多いのだが、たぶん一番簡単な中華は、ブリュッセルの新宿にして渋谷のRogierにあるCity2の一番下の階にあるMikiか。アーカイブが終わってFnacに寄り、Carrefourで買い物をしてここで食べる、というのが定番のパターン。味は大変おいしくない。
逆に、(相対的に)おいしい中華と言えば、Palais du Jusiticeのそばにある公共エレベーターをおりて少し歩いたところのHoogstraatにあるPlaisirs d'Orientが現在のところ自分の中で高い位置を占める。
・ブリュッセル出身の友人の家族にブリュッセルでおいしいレストランと言えばどこかと聞いたところ、やはりAux Armes de Bruxellesだ、ということだった。しかし、敷居が高そうでまだ行ったことがない。

■その他
・建物内には、地上階にカフェテリアがある。しかし、ここにはサンドイッチ、果物(リンゴ・バナナ)、パン(クロワッサン等)、ヨーグルト、スナック菓子およびコーヒー&ソフトドリンクくらいしか置いてない。さらに、15:00を過ぎると閉まってしまう(正確には、隣にある教会らしき建物は実際教会であり、その教会に入っているアソシアシオンが使用することになるらしい)。それ以外には、地下2階に、コーヒー等の自販機がある。
・自分が最初のこのアーカイブを使った時はTrone駅すぐそばのMeeus広場に面していた建物にあり、その後シューマン広場(有名なEU委員会のもっとも主要なかつ最大の建物があるところ)に面した建物に移った。どちらも、専用の閲覧室を持たない、オフィスに間借りしたものだったが、アーカイブが閉まる時間になっても、アーキビストの人が「もう自分は帰るけどあんたは好きな時間に帰っていいよ=いつまでもいていいよ」と言ってくれるおおらかな時代だった。今の閲覧室は大変立派だが、閉まる時間には閉まってしまう。それが何ともさみしく感じる。
・この閲覧室のすぐそば(走って一分)に、理事会(Coucil)のアーカイブの閲覧室がある。こちらには、カフェテリアとは名を打ってはいるがそれなりに立派な食事が食べられる(日替わりパスタ、スープ等)食堂が使える。なので、短期で来る場合、朝は理事会アーカイブに行って、お昼を食べてから委員会アーカイブに行く、というのが鉄板となっている。
アーカイブの入った建物正面。入り口は左側(教会の下ではなく)から。

上記写真を取った地点から、くるっと右を向くとこんな感じ。この巨大な建物が理事会本部(Consilium)である。廊下すべてを使ってフルマラソンが出来る(理事会のアーキビスト談)。

ベルギー雑感

昨日ハーグからブリュッセルに移動。ハーグからくると、町並みのゴチャゴチャ感に、ラテン語圏に戻ってしまった(と言ってもブリュッセルはオランダ語圏に浮かぶ飛び地なのだけれど)という感じになる。
ブリュッセルは、日本だとアールヌーボーの街として有名なのかもしれないけれど、実際に街を歩いてみると、いろんな建築様式がごちゃまぜになっており、あんまり統一感がないように感じる。グランプラスはきれいなのだけれど、きれいな町並みはごく一部に限られ、あと猥雑でありかつ薄暗い。

そうは言っても美しいグランプラスの夜景

今書いている日本語論文の関係で50年代のベルギー外交について調べているが、ベルギーというのは矛盾に満ちた国で、外交だけとっても、スパークだけに還元できない、非常に入り組んだ国内構造が実は外交にも反映されていることに、ようやくのことながら気付いた。いや、ベルギーはその歴史的背景と地政学的な構造から、誰が政策を担うことになっても、あまり外交の基本方針は変わらない、と思っていたのだけれど、そして確かにそれはある程度そうなのかも知れないけれど、実はやはり国内の多様性は外交に複雑なあやを持ち込まざるを得なくした。

ベルギーのヨーロッパ統合史研究は、Louvain-La-Neuveを中核として非常にアクティブだが、やはり、この大学がフランデル圏に統合・共存出来なかったフランス語圏大学というアイデンティティを持っていることを忘れてはならないと思う。ヨーロッパという足場がなければ、彼らはフランデルの中に埋没してしまう運命にあり、それゆえ、彼らの描く統合史には、国内的なあやというものは極小化される(まったく捨象される、とは言わないが)傾向にあるように、今更ながら感じるのである。あと、彼らが取り上げるベルギー人は基本的にワロニーである。Camille Guttのようなうまくハマらない人は取り上げないし(Guttはベルギーのベイエンのような人だがベイエンにはなれなかった)、ティンデマンスが活躍する70年代以降はどうするんだろう。

といいつつ、ベルギーとヨーロッパ関係だとほとんど彼らしか書く人いないので、ブリュッセルの本屋に行ったら、見つけた新刊を買ってしまった。
Vincent Dujardin & Michel Dumoulin, Jean-Charles Snoy. Homme dans la Cite, artisan de l'Europe 1907-1991, Le CRI, 2009
そして、Fracではティンデマンスの1980年代の首相期の回顧録を購入。
Leo Tindemans, Een politiek testament, Lannoo, 2009.

ところで、グランプラスの北側の裏に、非常に近代的な趣の入口の建物があり、一体なんだろうなあとのぞいたら、フランドル地方の観光案内所だった。全く気のせいかもしれないが、二年前に来た時よりも、オランダ語だけの広告が増えたように思う。昨日のオランダ語ニュースではVlaams Belang(フランデル地方の独立を主張する極右政党)のニュースがエジプト情勢より先だった。それにしても、オランダ語だったのでよく分からなかったのだが、ニュースの内容はVlaams Belang所属の女性政治家が亡くなった記念日だったようなのだが、ニュースの中心にいた女性政治家がいったい誰なのかが分からない。書店に行くと、ベルギー後のベルギー(つまり今のような連邦制ベルギーが解体したあとベルギーはどうなるか)と言った本が珍しくなくて、とりあえず次の本を買って読んでみた。
Michel Quevir, Flandre - Wallonie, Quelle soridarite?, Couleur Livre, 2010
ざっとしか読んでいないが、既に定年退職した社会学者が書いたものなのだが、フランドルの経済発展は歴史的に見ればフランドルが貧しかった19世紀から20世紀前半にかけての投資(鉄道網・港湾施設)に大きく負っているばかりか、戦後だけみても連邦政府からより多くの補助金をもらっているし、ワロン地方の経済発展率はEUの諸地域と比較すれば平均以上であるという。
それで一体どうやってフランドルとワロン間の連帯を確保するのかと言えば、よく分からないというか、フランドルの愛国心はベルギー独立時からあったことや、現在フランドルがワロンに対して行っている言動は社会学で言うところの「スティグマ化」そのものであることを理解すること、といった風に、歴史と現実とヨーロッパの他の地域の現状を直視すれば、この両者が過度にいがみ合う必要はない、と言っている以上のものではないようである(ざっとしか読んでいないので)。あと、ワロニーがもっとフランドルの言語と文化を知悉するように、と書いてあるので、読者がフランス語話者であることを想定すれば、一番妥当な提案なのかも知れない。

フランドル観光案内所

2011年2月13日日曜日

テレビ見てたら

こっちの夜のサッカーニュースで、フェイエノールトの宮市がゴールしたとのことだが、夕方にコーヒーを飲んだカフェに置いてあった地元紙には、宮市が地元デビューを飾るが、かれはメッシではなく○○(覚えていないがあまりたいしたことない選手みたい)にすぎないという記事が載っていた。でも、ニュースでは監督と活躍した選手しか写さないインタビューも映していたので、注目度はかなり高いし、キャスターも好意的な話し方をしていた(と思う。正確には聞き取れない)。

日本関係でいえば、昼過ぎに時間が出来たのでマウリッツハイス美術館に行った。大変よかったのだが、日本語のオーディオガイドはあるのにフランス語のがなく、自分の後に来たフランス人が憤慨していた。ただ、日本語で解説していある絵画は限りがあり、結局英語も借りてみてみた。
英語の解説を聞いていたら、ルーベンスはイタリアに渡って、カラバッジョから光と影の強いコントラストを学び、それがフランドル派(アントワープ派?)に伝わっていったという。17世紀のオランダ・フランドル絵画はカラヴァジェスキだったのか!

マウリッツハイスの外観

上の写真の反対側はビネンホーフの池。池に面しているのは国会でその奥(中央)にある白い壁の建物がマウリッツハイス

2011年2月12日土曜日

Max Kohnstammの個人文書

開いていたのか。知らなかった。2010年の更新とあるから昨年なんだね。近くに来てまで見れないとは…。でも、カタログを見る限りは、どうなのかな。やはりモネへの接近としてみる分にはいいかも知れないけど、という感じだろうか。EUIに彼の日記の完全コピーはあるし。

http://www.iisg.nl/archives/en/files/k/11074515.php

2011年2月11日金曜日

オランダ国立文書館利用感想

これでもう3度目の利用ですが、オランダ国立文書館を利用したので、その利用の仕方、感想などを書いてみます。と言っても、自分はオランダ史が専門でもないし、オランダ語はからっきしだが、ヨーロッパのマルチラテラルな交渉でオランダは独特の存在感を誇るので、そのようなマルチな視点からオランダに接近する人が増えれば、と思って書いております。
(2月13日表現等、変更及び追加:特に開室時間)

アーカイブ名 Nationaal Archief 
(以下の記述では当文書館を便宜上旧名の略称であるARA=Algemeen Rijkarchiefと書きます)
ホームページ http://www.nationaalarchief.nl/
住所 Prins Willem Alexanderhof 20, Den Haag
           ハーグ中央駅(Den Haag Centraal)から徒歩1分

アーカイブの正面から。本当にすぐ隣。
開室時間 水~金 10:00~17:00
       火 10:00~21:00
       土 隔週で10:00~16:00
       日・月は閉館
どの土曜日が空いているか、またその他の利用規則・詳しい地図については、こちらのページ参照


利用方法
・日本から短期で訪れる場合、以下の手順で行うともっとも効率的と思われる。
まず、ホームページ上のサーチエンジンから調べたい検索用語を入れて調べると、ARAに所蔵されている文書のカタログにどれくらいヒットしているかが詮索結果で出てくる。その結果を丹念に見ていくと、自分に関係ある史料をピックアップできる。
また、ARAの大きな特徴として、文書カタログがすべてデジタル化されており、ウェブ上ですべてのカタログを閲覧できる。ARAにはオランダの全省庁および主要な政治家の私文書が所属されているので、関係ある省庁および関係する局の名前を入れていくとそのカタログが閲覧できる。PDFにもなっているので、自分のPCにダウンロードしてカタログ内で検索をかけることもできる。
たとえば、ごく最近ついにARAに移管された外務省文書であれば、Ministeir van Buitenlands Zakenと打ち込めば、 46219件のToon resultaten in de archiefbeschrijvingenをクリックすると、外務省の史料のカタログ記述のどこにヒットしているかが分かるので、そこからたどっていくと、外務省史料のカタログに行きあたることができる。
・その他、先行研究から史料番号等をピックアップして、とりあえず閲覧したい史料番号を整理する。
史料は予約できる。訪問の二日前まで受け付けとのことなので、日本から行く場合は、前もって一週間ほど前には問い合わせした方がよいだろう。だが、その場で注文しても、大体30分もかからず出てくる。

■文書館に着いたら
・まず入り口を入ったところの受付で利用者カードを作ってもらう。無料。たぶん住所やらを記入するフォーミュラをくれるので、それに書き込めばOK。この登録時の初回だけ身分証が必要なのでパスポートを持っていく。利用者カードが出来ると、それとは別に、やや分厚いプラスチックのID証みたいものをくれる。このID証は閲覧室の扉の開け閉めに使用するのと、そこに書かれている三ケタの番号(Tafelnummer=テーブル番号)が史料注文に不可欠となる。
・なお、Tafelnummerと言っても、実際にテーブルに番号が貼っている訳ではなく、席はどこに座ってもよい。
・荷物はロッカーに。ペンは持ち込み禁止。ノート類は入る時も出る時もチェックされる(TNA、CARAN同様)。違う点は。ARAには大量の鉛筆が閲覧室に装備されているので、鉛筆を持っていかなくてもOKな点である。
・Tafelnummerが書いていあるID証は、閲覧室の扉の開け閉めに必要なので、みんな首から下げている。なお、トイレは閲覧室の外、ロッカーのあるところの地下にある。

■史料の注文
・史料の注文は閲覧室内のPCを使って行う。この際、ToegangnummerとInventrienummerの二つが必要なので気を付けること。Toegangnummerとは大分類のための番号。Inventrienummerが史料の実際の番号である。
 ARAの一つの特徴として、同じ省庁であっても、局や年代によって違うToegangnummerを割り当てることで、異なるアーカイブとみなしていることである。たとえば、外務省文書の場合、1945-1954年代の史料には2.05.117というToegangnummerを、1955-1964年代の史料には2.05.118を割り当てている。農業省であれば局ごとに異なるToegangnummerが割り当てられており、史料の整理の仕方が省庁ごとで異なるのが興味深い。
・注文画面では、自分のTafelnummerを入れる欄があり、閲覧日時、Toegangnummer、Inventrienummerを打ち込んでいく。
・なお、注文の際、数に制限なし。

■史料の閲覧
・自分が注文する史料が読めるようになったら、閲覧室の中の電光掲示板に自分のTafelnummerが表示される。この電光掲示板は、閲覧室の外のコーヒー自販機等が置いてあるリラックスコーナーにもあるので、コーヒーを飲みながらでもチェック可能。個人的印象としては20分程度で閲覧可能に。
・表示が出たら文書受付のところへ行って自分のTafelnummerを言うと、文書を持ってきてくれる。一度に机に持っていけるのは、ボックスで三つまで。基本的に、史料はいくつかの文書と一緒に一つのボックスに入れられている。そのため。連続するInventrienummerの史料を注文しても一つのボックスに収まっていることは、ままある。
・そのために、手元における史料の数は結構多い。

■史料のキープ
・史料をキープする場合、受付に戻すときに、置いてあるA5くらいの紙にいつ次読むか、という日時を記入する。

■デジカメ
・TNAと同じく、デジカメは完全にOK。これはここ1・2年に規則が変わったとのこと。

■その他
・コーヒーの自販機含むリラックスコーナーがあるのだが、今回訪問した時、なぜかその場に、閲覧室利用者のための無料コーヒーがサーブできるようになっていた。味はいたって普通だったので、たぶん職員の誰かの厚意なのかと思うが詳細は不明。
・隣接する王立図書館と共同の、同じ建物の中にある(ただし閲覧室からみると道の向こう側にある)レストランが利用可能。ただし、中央駅から徒歩1分なので、駅の中には、売店・スーパー・スナックスタンド・ファーストフード等、食べるチョイスは豊富にある。
・王立図書館と建物がつながっているのだが、王立図書館側には、カフェテリアっぽいところもあり、そこではお菓子やコーヒーも売っている。

■ハーグにはどうやっていくのか
・下記の移動の記録にもあるが、スキポール空港から、Den Haag Centraal直通の快速が30分に一本はあります。所要時間は30分未満。ハーグのもう一つの主要駅Den Haag HSにはもっと本数がある。HS駅に着いた場合、Centraal行きの電車に乗り換えるか、トラムでCentraal行きの17番に乗れば移動できる。
・電車のチケットは、普通のオランダ人は自販機で購入するが、コインかオランダの国内銀行からの引き落とししか使えないのが多い。空港にはクレジットで購入するタイプもあるが、1ユーロの手数料が余計にかかる。
・トラムは、以前は回数券(Strippenkaart:スゥトリッペンカールト)がHTM(トラムの運行会社)窓口で買えたが、今は買えなくなり、スイカみたいな非接触型カードのみが販売。

■ハーグで何を食べるか
オランダ料理はおいしくないらしいので、安くて満足なものを食べたいなら、中華かエスニック系がよい。中華は、Wagenstr.沿いにいくつかあるし、GrotemarketとSt. Jakobstr.の間にある道にも、テイクアウトもできる中華のお店がある。また、かつての植民地の名残で、インドネシア料理に加え、日本ではなじみのないスリナム料理の店も珍しくない。スリナム料理はインド系に近く(というか、スリナム自体が半分は印僑で出来ている国)ちょっとスパイシーだが結構おいしい。

■ホテル
ハーグのホテルの数は少ないので、安いホテルは限られている。しかし、オランダの場合、幹線鉄道が非常にしっかりしているので、ライデンなどにホテルを取るのも一策。
■感想
・自分が利用したアーカイブは大小含めて16ほどだが、その中では一番使いやすい。個人的にはTNAよりも上。確かにTNAのカフェテリアと書店は魅力的だが、アーカイブとしての使いやすさではこちらに軍配が上がると思う。自分にもっとオランダ語能力があれば…

アーカイブ正面

ハーグへ

木曜日からオランダ国立文書館(Nationaal Archief)を訪問するために、ハーグに移動。ハーグは、なんだかんだとこれで実に四度目なので、街の方向感覚などは問題ないし、だいたいどこにどんなお店があるかも把握しているし、なによりハーグは非常にきれいでかつコンパクトな街なので何かと楽に過ごせている。

以下移動の記録
木曜日は朝7時15分発で6時45分にチェックイン締め切りなので、タクシーでないと間に合わないと思い、前日家賃を払いに行ったときに階下の大家とロベルトの奥さんに相談したら、家から電話したらいいしロベルト電話してくれるよ、と言ってくれる。それで木曜になんとか5時40分に起きて10分で支度して6時前に荷物を出していたらちゃんとロベルトが部屋から出てきてくれて大家さんの電話使ってタクシーを呼んでくれた。ロベルト親切すぎる。タクシーは5分で来て、ものすごいスピードで空港へ。たぶん10分もかからないで到着。Quale veloce!と言ったら運転手笑ってくれる。飛行機はパリ経由でスキポールへ。スキポールからハーグへは快速列車で30分弱。文書館はハーグ中央駅(Den Haag Centraal)の真横なので、文書館に着いたのは1時45分くらいか。
 しかし、文書館についてから、デジカメの予備バッテリーとバッテリーチャージャーを家に忘れたことに気づき呆然。電池は文書館が閉まる30分前くらいには切れてしまい、予定が狂う。ホテルにチェックインしてから近くにデジカメを売っているところはないかと聞くと、Media Marketというお店がBiggest and Cheapestということなので、そこに行ってみると、なんと予備のバッテリーそのものが売っている。店員さんに聞いてみると、チャージャーもあった。オランダすばらしい。
ホテルとアーカイブの間にあった教会

2011年2月4日金曜日

Sui Generisとしてのヨーロッパ共同体

ヨーロッパ統合によって生み出されたEUという政治経済共同体は、その法的・政治的性格が歴史に例を見ない、それ独自の政体という意味でしばしばSui Generisという形容詞が付けられる。そういう風に自分もかつて講義したこともある。政府間の合意だけで動いている組織ではないし、だからと言って、一個の主権的共同体でもない、その中間的というか融合的な共同体としてしか説明できない、という意味で、EUはSui Generisだ、と。

それ自体が固有の政体、という説明では説明になっていない、という批判も聞かれるのだが、一体このSui Genersiという形容詞は、誰が最初に使いだしたのだろうか。誰かご存知の方がいれば是非教えてほしい。いや、教えてください。

というのも、今週、日本語で書いている論文(コミトロジー史ではないテーマ)に関係する史料(1950年代)を読んでいたら、史料の中にSui Generisという用語が出てきたからだ。しかも、その意味は上記のような意味とはやや違う。全く違う訳ではなく、エッセンスとしては同じだとおもう、しかし、それによって何を説明しようとしているかどうかがだいぶ違う。その違いがとても興味深い。

元EU官僚にインタビューする

フィレンツェにもどって一週間立ったわけですが、1月以降の学期はセミナーを取らないことにしたので(というか、正直取りたいテーマのセミナーがない)、毎日自分の研究に時間を当てています。図書館に行って論文を読んだり、これまで集めた史料を読み込んだり、アーカイブに行って必要な史料がないかどうか調べたり…。基本、孤独な作業ですので、あまり変化はありません。

が、今日は初めてEUのコミッションに30年務めたというEU官僚の方にインタビュー。これまでに触れた、同じVillaに研究室を持ちEU Fellowの方です。11月のセミナー発表が終わってから、話を聞かせてもらう約束はしていたのですが、お互いの予定がうまく合わず(もう還暦を超えてるっていうのにヨーロッパ各地のEU関連のショートセミナーを飛びまわっているとのこと)、やっと今日話が聞けました。

EUIに提出する予定のWorking Paperのテーマは、これまでちょこちょと史料を調べている訳ですが、どうにも論文としてまとめるには難しい。史料も、どう読み取っていいのか分からないくらい技術的に細かい話ばかり。正直言ってこのテーマ設定は失敗だったか、と思っていたのですが。。

今日話を聞いたイタリア人のPonzanoさんは、コミトロジーに関する実務的論文を何本も書いており、コミトロジーに関する仕事をしていたと聞いていたので、どのようなコミトロジー委員会に居たのか、と聞いてみたところ、具体的な委員会に属していたのではなく、コミッションのSecretariat Generalの中のCOREPERと委員会との調整に当たる課にいたという。つまり、自分が取り上げるコミトロジー手続きのど真ん中にいた訳です。しかも、退職する前の10年間近くはこの課の課長だった、と。これには驚愕。どうりでコミトロジーに関連する論文をいっぱい書いている訳です。
その後、彼が考えるコミトロジー手続きの発展と、その時期における特徴を一時間にわたってレクチャーしてもらう。彼は英語よりもフランス語の方が楽にしゃべれるということなので、こちらもフランス語で質問したり、しかしよく分からないところは英語でも確認したり。
最終的に、自分が論文を書く際に、どのポイントを明確にしていけばよいのか、かなりのヒントをもらうことができた。もちろん、今のアイディアはまだ彼の主張が色濃く反映されているし、こちらが考える歴史研究としての文脈への接合もしなければならない。でも、いずれにせよ、非常に充実したインタビューだった。それ自体がオーラルで使える訳ではなかったのだが…。と考えると、このテーマに関する自分の理解はまだまだなのかもしれない。

インタビューが終わってから同じVillaのフェローたちとお昼を食べに。そこに、Ponzanoさんを紹介してくれたスペイン人の例のフェローも来ていて、さっきのインタビューのことをしゃべったら、向こうも喜んでくれた。3月の頭にブリュッセルに戻ってしまうらしいが、なんというか、こういう人と人とのつながりは大事にしなければなあ、とつくづく実感した。それと、Ponzanoさんには、他にこのテーマに詳しい人を紹介してほしいとお願いしたので、うまくインタビューが続くとよいのだが。。。

さて、お昼から戻って早速テープ起こしを始めたが、フランス語ということもあって、4時間かかっても10分も進まない。しかも、向こうもネイティブではないから、文字に起こすとどうも意味不明な(というか聞き取れない)フレーズが連発である。インタビュー時間は一時間強なので、この調子だと一週間はかかるかな。
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