2010年10月30日土曜日

労働することと創造すること

今から10年も前の話、最初の留学(3か月の短期だったけど帰国したあとさらに長期留学を予定していたので自分の中では連続している)を始めようとしたとき、自分は日本と言う国を飛び出したこともなかった。留学へ向かう飛行機は、自分にとって初めての外国行きの飛行機だった。

日本を飛び立つ前の日の晩、今は奥さんになっている当時の彼女と当座最後の食事をトンカツ屋で食べていたとき(←彼女との当座最後の食事をトンカツ屋で取るな、とかは言わないこと)、ふいに、自分の中で味わったことのない感覚に襲われた。

ヨーロッパは好きだったけど自分にとって海外に行くなんてドコか他人事だったのに、今自分は留学に向かおうとしている。誰に命令されたわけでもなかったのに(直の先輩方がみんな留学していたので当然とは思っていても)、自分でいろいろ手配して今飛び立つところまで来ている。何もなかったところから何かが生まれようとしている。そうか、これが仕事なんだな。自分は、いわゆる会社で働いたこともなければ、今自分がしたこと(留学の手配)は金銭的利益や儲けを生むような行為でも、何か目に見える作品や知識を生み出したわけでもないけど、でも何にもないところから、そのままの状態では生まれなかったような何かを自分で作り上げたんだな、ずっと学生・院生を続けていて、自分は働いたことのない人間だとずっと後ろめたい気持ちを持っていたけど、生みだそうとという意思と行為がない状態を続けていたままでは生まれなかった、でもそういう意志と行為を持つことでどこかから生まれた何かを生み出すことを人は労働というのだな、と初めて実感した。「仕事として研究しているんだ」というようなセリフは吐いたことはあっても、肌感覚として、自分が何をしているのかを、それにどういう意味があるのかを知るためにはどうすればいいのかを分かっていなかった。

日本最後のトンカツを前にして、いま書いたようなことを一瞬で知覚した。ちなみに、僕はトンカツが大好物である。で、そのようなことを彼女(奥さん)に話してみた。彼女はやさしく、うんうんとうなずいてくれた。

なんでそんなことを思い出したのかというと、今こちらで研究員として過ごしているうちに、こちらの人間が研究という知的活動にどのような意味を見出しているかについて、あの時トンカツ屋で知覚したことと似たような認識を抱いているからではないか、と感じたからである。
自分の周りにドイツ人が多いからか、Fellowや院生の人が教授に接するときはかなり慎重に接している。OnとOffがはっきりしているので、コーヒーで休憩しているときに研究の話をいきなり話すのはためらわれるところもある。つまり、研究することで生まれる新しい認識を非常に尊重しているからなのではないか、と。研究とは、物事への新しい認識を生む作業であって、それはどの領域でもはっきりしている。理系と人文社会科学系の違いは、その「新しさ」の意味的違いにすぎない。理系は、これまで分かっていなかったこの世の世界の仕組みを明らかにすることで、その「新しさ」は知識として共有できる。これは分かりやすい「新しさ」である。
これに対して人文社会科学における「新しさ」とは誰もしなかった認識、説明や物事の把握の仕方にあり、これは必ずしも「知識」とは限らない。それは「理解」へのこれまでとは異なった説明であり形容であり注釈であり、論理的に拡張され、それまでにはなかった認識を生む限りにおいて、「新しい」。

そう考えると、働くとは、仕事をするとは、何か新しいものを生み出す作業に他ならない。労働することとは創造することで、僕は自分がどういう新しいものを生み出そうとしているのかを、もう少し注意深く認識していこうと思う。

2010年10月28日木曜日

10月28日

午前中はセミナー用文章をひたすら考える。
お昼はIさんとちょっと遅めだが一緒に取る。ANの使い方について。
15:15-17:00:Mentorのセミナー。なんというか、セミナーのことで頭がいっぱいなのでほとんど予習もないままに臨み、非常に後悔。発言しても、本当に途中から何を言いたいのか訳が分からず(というか、特に発言したかったことがあったわけではなかったのだが、とにかく何かしゃべらなければと思ってとりあえず話してみたが、やっぱりこれは自分にはまだ高等芸能だった)、やさしいMentorの先生が「今の発言、みんな分かったかな」とやさしくフォローしてくれるもFirst Year Researcherの一人から一蹴される。
なお、議論の前半はGlobal History/ World History/ Transnational History/ International Historyの違いについて、後半がInternational HistoryとGrand Narrativeについて。後半の論点は何故Grand Narativeが問題になるのかさっぱり分からず、その論点を提起したドイツ人のJanが顔見知りなので、セミナー終わった後に聞いてみた。自分の理解した範囲では、AcademicなNarrativeと歴史教育におけるNarrativeはかい離しており後者は政治的動きから大きな影響を受けるのが常。アメリカにおけるInternational Historyという傾向はアメリカの対外政策の動きに大きく影響されているのではないか、というもの。
セミナーは、毎回奈落の底に突き落とされる感覚を味わうが、今回はなかなかキツかった。。。

2010年10月27日水曜日

10月27日

前日は、夕食時にこちらの大学に来ている日本人Fellow(+その奥様一人)の計5人で初めてのお食事。大変おいしかった。経済学、法学、政治学、歴史と専門分野は違えど、抱えている悩みや問題はあんまり変わらないのだなあ、と実感。

本日は、少々起床遅く10時半に研究室着。ところで、起床する直前に見てた夢は、昔自分のゼミにいた大学院進学組の学生に短期でいいからEUIに留学しなさい、と説得するものだった。
Villaに来てみると誰もおらず、ちょっと不気味なままセミナー報告のためあれこれ頭を悩ませる。昼食時に合流。Villaに戻った後、今日発表するドイツ人のFellowとPhilipを交え少しプレゼンの方法について話をする。どうも、同室のPhilipは、来年度もEUIに残りたいので出来るだけプレゼンの印象をよくしたいようだ。しかし、EUIに来年度もFellowとして残れるのはまた制度的な問題もあるので、そのあたり、最近彼を悩ませているよう。

2010年10月26日火曜日

本日の作業

研究室で一日11月10日のRSCASセミナーのプレゼンのための文章づくりと、それに飽きたら、4日のセミナーで話す、日本の国際関係史研究についての文章。後者はまず日本語で書いてみた。
結構長くなった。5分、と言われたが、どうかなあ。

2010年10月25日月曜日

本日のセミナー

本日の統合史セミナーの記録
マテリアルは、
Piers Ludlow, "Widening, Deepening and Opening Out: Towards a Fourth Decade of European Integration History", in Wilfried Loth (ed.), Expercing Europe, Nomos.
Wilfried Loth, "Explaining European Integration. The contributions  from Historian", Journal of European Integration History, vol.14, n.1, 2008.
Mark Gilbert, "Narrating the Process: Questioning the Progressive Story of European Integration", JCMS, Vol.46, N.3, 2008.
ヨーロッパ統合史のヒストリオグラフィーについてであった。
内容としては、前二者は研究史をまとめたうえで、統合史の次の課題として以下を提示する。最初の四件がLudlow、最後がLoth。
(1)How Institutions work? : 組織の中の詳しい動きを捉えること
(2)Enlargement:拡大を契機として、共同体のNatureがどのように変わったか、変わらなかったを捉えること
(3)統合史をヨーロッパ史・20世紀史に組み込むこと。これはどちらかと言えばシニアな研究者がすべき。
(4)統合による国内社会、経済、文化へのインパクト及び変容を捉えること
(5)民主的正統性と政策決定上の効率性との関係について
これに対してGilbertは、統合を常にProgressとして規範的善と捉える傾向が常にあることを指摘して、そこからの脱却を説くわけだが、出席した学生からは、Gilbertへのシンパシーは大きかった。ちなみにLothはConservativeで説得的ではない、という反応(と言ってもサンプルは三名だけなのだが)。
やはりというべきか、議論はLudlowの議論をどう批判的に捉えるか、という線にそってすすんだ。Romeroから出されたのは、Ludlowの議論は大変Usufulだが、統合の現状を追認したうえでの研究アジェンダの提示であることに注意すべきだ、というもの。
Lothの議論は統合の起源に関するもので、起源を論じることは戦後秩序がいかに生じたのか、ドイツ問題をどう乗り越えるべきだったのか、という問いの設定がある。Gilbertも、EUというのはどういう意味でモデルとなりえるのか、という議論の問いかけがある。それに対して、Ludlowのには、そういう問いかけがない、という。Romero氏は、What is the studies of European Integration History for? という問いがLuddlowにはないのだ、と。
それを踏まえたうえで、にもかかわらずと言うべきか、これから最も困難で最もチャレンジングな研究は(4)=というであるというのが、RomeroとAurelieの共通した見解だった。これはちょっと自分には意外だった。ヨーロッパ統合がそれぞれの国家の国内社会、文化、商慣習、空間認識、もしくは人々の心情・世論にどのようなインパクトを与え、それをどうのように変容させたのかを史料で跡付けることは大変難しい、というのである。
たぶん、このような研究は、国内史の延長線上として可能かもしれないが、実際にナショナルな史学をしている人がこのような関心から実証研究に乗り出す可能性は非常に低いし、史料的な問題からも、史料で跡付けるのはいろんな困難がある。世論調査(ユーロバロメーター)は1970年代からだから、それ以前のことはデータがないし、そもそもユーロバロメーターでは測れないような問題が出てくるのではないか、とも。なぜ困難なのか、という点については、議論が追えない個所もあったが、とにかく、この問題がフロンティアなのだ、という認識はある意味歴史学的なアプローチから見たことと、かつヨーロッパ人の視点から見ているからなのかも知れない。というのも、Romero氏は、自分がEuropeanだ、という認識をそもそも持つようになるのは大変複合的な過程を経てそう感じているのであり、その過程がなぜ生まれていったのかをきちんとさぐるべきだ、とも言っていたからである(但しこのBeing Europeanという論点は、上述のImpact論点の前に独立したものとして提示されたが、自分には連関しているようにしか思えなかった)。

それにしても、自分が参加しようとしてもイマイチ議論にならない(質問にしかならない)。自分が参加した企画でも某Edさんの論稿がまさにそうなのだが、こういうものにはコメントがしずらい。たぶん、研究は実証研究でしか進まず、その傾向はより史料と現状の二者に左右されるからであって、この二者への傾向をどのように考えるかを差し置いては、あまり大それたことは言えないからである。

それと、もうひとつの問題は、ヨーロッパ統合それ自体が持つ(もしくは持たないように気を付けても帯びざるを得ない)Model性、もしくは規範的な含意をどう考えるか、というものだった。この点について、日本でEUを研究するのはやはり規範的な意味があるのか、と話が振られたので、基本的にはそうだが、できるだけ「中立的に」やっているつもりだ、と答えたら、「中立的」ってなんだ(そんなことは可能か)、という返答が返ってきて答えに詰まる(情けない)。よく考えてみれば、その「中立」はどうすれば可能なのか(歴史研究であっても同様なわけで)、ということを議論しているのに、そうやっていると答えても答えにならない。消化不良感がつのるが、英語でモノを考えながら議論をするのは自分にはまだまだ修行が足りない。
しかし、英語ですらそうなのに、これをフランス語でするのは恐ろしいくらいにエネルギーを掛けないと無理だなあ。いや、正確にいえば、最初にフランスに留学してから、それを可能とすべく研究を続けてきたわけだけど、たぶん、この拙い英語の方が、自分のフランス語よりレベルは上だろう。ようやく日常会話には困らない程度にはなってきたが、それでも議論をきちんと理解して反論するような芸当までには至らない。
ところで、パリでフランス人と何か(オフィシャルなものを含め)しゃべっていて「今のところが分からない」とか言うと途端に不機嫌というかすごくぞんざいな扱いを受けるが、ここの英語のいいところは、「よくわからない」と言っても許されるところだ。ただし、しゃべる時にはきちんと話せないとやっぱり相手にされなくなる点は同じ。つくづく、知性と言語運用能力は「ある程度」比例すると思う。

2010年10月21日木曜日

便りがないのはよい便り

今日のお昼に同室のPhilipとしゃべっているときに、「便りがないのは良い便り」ということを言おうとしてThere is no news, that is ..と言おうとしたら「Good news!」とすかさず言われた。そうか、これは英語でも言うんだな、と思って今調べたら、もともと英語のことわざ(No news is goog news)だったことを知る。

10月21日

朝:アーカイブで仕事。あまりはかどらない。
昼:研究室のあるVillaでBrasilian Lunch。なかなかおいしかった。ただ、小豆でソーセージを煮た料理があり、それだけは手を付けられず。
なお、昼休みに、Commissionから出向中のFellowの人にComitologyは訳が分からないということを言ったら、その後、すでにCommissionを退いたSenor Fellowの人が昔Cmitology関係で働いたことがあるから彼に聞いてみるといい、と教えてくれた。六月に一回だけしゃべったことがあった人だが、糸口が見つかるといいなあ。問題は何を聞くか、だ。
午後:これからMentorのセミナー。今日のテーマは国際関係史における「文化」の位置づけ
*セミナー後の追記
 今日の論点
(1)IRにおけるCultural なTheory(どうもコンストラクティヴィズム)と歴史研究をどうIntegrateさせるか?
  ←議論が空中戦であまり進展せず。Mentorの先生より、では歴史研究で歴史学以外の学問に影響を与えたTheoryってありますか?の問い。みんな(自分も含め)答えられず(歴史学にとって大事なのはApprocheはあってTheoryではないのでは、という回答をした人あり)。考えてみれば、MarxもWallersteinも歴史的思考としては大きな影響を与えているが、「歴史学」ではないよな。
(2)文化の定義
 文化をどう定義するのか、という論点に次に移ったが、最初の人が一言Common senseと言ったあと議論をフォローできず。Common senseではないだろう、と思ってしゃべろうとしたのだが、議論の進展がどうも分からず入っていけない。こういうときは、最初に戻るんだけど、と一言言えばいいんだろうけど後の祭り。
 その後、文化を分析対象とするのか文化そのものを分析するのかの違いの指摘や、国際関係史における文化の使い方は、いわゆる因果関係の同定というよりかは影響・受容の作用を考える時に使われる、という話に。
 全体的に、今日のKick-offコメンテーターを務めた院生の博論テーマが冷戦期におけるアメリカのプロパガンダのフランスとベルギーへの浸透・影響というもののため、この人の研究の周りでぐるぐる話が回転している感じだった。
 
 自分としては、「文化」と呼ばれるものの中に入っている現象があまりに多様で、そのあたりの類型化を先にしなければならないのでは、ということと、セミナーで扱った文献は基本的に「文化」をさまざまな人間集団が共有可能なものとして考えている前提に立っているが、どうもこれには違和感があった(クリストファー・ソーンの『太平洋戦争とは何だったか』は共有不可能な文化観念というテーゼを出していることを文献では扱っていたのだが、これに言及した人はいなかった)。ということをセミナー中に話せばよかったのだが、タイミングがつかめず失敗。そのことをセミナー後にMentorの先生と少し話した時に、「あまり気にせずとにかく議論に参加してね」と言われる。

 セミナーが終わったら、昨日結局いけなかった例の契約に行こう。

2010年10月19日火曜日

EUIアーカイブ

本日は趣向を変えてアーカイブ作業をすることに。パリで取ってきた史料はまだ山のようにあり、まだまだ読み切れていないのだが、いかんせん技術的すぎて何が問題なのか、その見取り図が全く読めない。
なので、より「政治的」な文書から読んでいこうと路線変更。まだ、こちらの成果として書くべき論文の骨格を探している最中で、どうも「コレ」と腑に落ちるネタになりきれていない。
それで、とりあえずEmile Noelの史料を読み始めるが、(機構としての)ECはこの人が作ったんじゃないかという気がしてくる。それと、Noelの史料カタログは、ネットで公開されているのだが、Pdfファイルで載せているのは旧バージョンで、新バージョンはWebから直接入ってくページとなっている。これまで旧バージョンのPdfを一度ダウンロードした後ずっとそれで史料を探していたので、新しいカタログを見て愕然。
それにしても、しばらくEUIアーカイブから遠ざかっていたが、特に個人文書の充実がすごいな。個人文書から探っていけば、1980年代の研究もそんなに難しくなくなってきている。今日の閲覧室利用者は自分も含めて二人だけだが、もう一人はAS文書の中のエディンバラ欧州理事会(ってことは1990年代じゃないか)の文書を閲覧中の様子。

それにしても、現アーカイブにはアパートから歩いて行ける。これは幸せだ。もう少しで移るのらしいが。。

2010年10月18日月曜日

10月18日

9:15-10:45:English Writing 時制の文法問題、ディクテーション、わざとクロノロジーをバラバラにした文章をもう一度組み立てなおす練習。ディクテーションは難しい。

13:00-15:00:統合史セミナー。本日は脱植民地化がテーマ。統合史と脱植民地化はどのようにつながっているのか、脱植民地化は何故起きたのか、を二大論点にして議論がスタート。出席者は自分を含めて4人だが、HECの院生が親戚か友達の結婚式のため欠席とかで3人のみ。
以下セミナーの議論の記録。まず最初に、報告者が簡単な内容報告と論点(上記の前者)を出したのだが、なぜ統合史セミナーで脱植民地化の文献を取り上げたのかという問いがRomeroから出されて、それに自分がヨーロッパ国家の力の衰退により帝国の維持とヨーロッパ統合の両立が不可能になったためヨーロッパ統合に取りかかろうとした西欧諸国家は脱植民地化することとなった、ということをしゃべった(実際の英語はもっと単純な内容でしかしゃべっていない)。
するとRomeroがその理解はあまり単純すぎるということで、統合史と脱植民地化のリンケージは以下の三点と指摘する。
(1)ヨーロッパの衰退(という点でこの二つは同じ潮流)
(2)ヨーロッパ自身の変化(社会、人々の価値意識、外交的手法)
(3)国際システムの変化:戦間期から冷戦へ
①についてはまあいいとして、Romeroが強調していたのは(3)だった。植民地が形成されていた英仏が帝国だった時代は、国際システム自体が英仏を中心とするものとして機能していた。戦間期にはそのシステムはすでに衰えを見せてはいたが、冷戦になるともっと劇的な変化が起きる。それは米ソ(特にアメリカ)による人々の自己決定と民主主義の価値をめぐる対立だったので、第三世界の人々の自己決定を即す脱植民地化は冷戦という国際的文脈においては非常に好ましいものだった、という説明。
(2)については、ヨーロッパ統合というのはナチ自体もそうで、1930年代のNaziの政策はEuropean Projectだった。アメリカに対する対抗、ヨーロッパ自身の経済的・技術的・政治的結集しかし、Naziが失敗した理由の一つは、Naziがそれまでヨーロッパ域外の国家に対して用いられていた植民地主義的ロジック(Racialなもの、強者が弱者を征服し支配するというもの)をヨーロッパ域内に持ち込んだことで、これはヨーロッパの人々には受け入れ難いものだった。
また、第二次大戦をはさんだ変化として、外交上の振る舞いとして、征服、支配、コントロールと言った行動から規制、合意(妥協)、交渉、という風に変化があった(なぜそのようにな変化が起きたのかはともかく)。
サブ教員のAurerieからは、脱植民地を促進した要素として、経済発展を受けて、「成長」というものを人々が非常に重視するようになった、という指摘。

議論(というかRomeroからの説明)はもうちょっとニュアンスに富んだもので、どうも日本語にするとそのニュアンスが飛んでしまう。これは、ニュアンスに富んだ日本語を英語にしようとするとものすごい単純化されたものになってしまうのと似ている。

今回は、発言はできたが、議論に対してあまり貢献できなかった。なかなか難しい。

セミナー出席後はオフィスに戻って某Yさん企画原稿。
ところで、隣のオフィスにデスクがあるカナダ人の女性のFellowのアパートにすごい数の虫が発生して大問題になったそうだ。直接本人から聞いた訳ではないのだが、恐ろしい。。。

先週の記録

木曜日
こちらの研究所のMentorになっている先生(と言ってもあんまり年は変わらないようなのだが…)のセミナーへ。月曜よりやはり出席者が多く、文字通りのオブザーバーとして参加可能、と思ったが、一度、日本の状況について5分ほどしゃべることに。先生がやさしく、議論の途中で話を振ってくれたのでしゃべることができたが、英語がひどく、だんだん先生の顔が曇っていった。

金曜日~日曜日
家族のもとに帰郷。Easyjetを初体験。確かに、ヨーロッパ内で荷物が少ない場合の移動は楽だ。値段は、格安航空会社とは言っているがそんなに格安という感じはしない。大体日本の国内移動の料金とあまり変わらないのでは。飲み物・食べ物が有料、席が自由席(早いもの順)という点もあんまり気にならない。問題は、無料荷物が手荷物含めて一個までなので、機内持ち込み用の荷物以外にスーツケース等を持っていく場合は20ユーロくらいの(たぶん旅程によって値段が違う)チャージが掛ることと、チェックインや荷物預入の時あまり時間がないのですごく込むがネックか。
日曜日の11時半に自宅に戻る。部屋に入ると、やはり臭いが気になる。どうしたものか。

2010年10月13日水曜日

最近は

つぶやく人ばっかりだなー

今日の予定
催促がついに届いた某企画テキストのため図書館で作業。図書館の中にある外交文書を集めている部屋が大変快適なことを知る。四方を外交文書で満たされているってなんて幸せなんだろう。
16:00からは研究所の初回セミナー。

2010年10月12日火曜日

本日の予定(10月12日)

・木曜日のセミナー予習(ペーパー二本):たぶん、月曜日のよりかは出席者は多いだろうと希望。
・史料読解。100ページくらいは進みたい。

それと、9月に送った二個の段ボール箱のうちの一個がようやく今日届いた。ネットで追跡できるのだが、ずっとRhone-Alpeの郵便局で留め置かれていて、ついには先週の木曜くらいには「送付停止」とまで表示されたのだが、今日になって、ビニールテープでぐるぐる巻きになって送付。予想はしていたが段ボールが破けてしまい中身が飛び出して修理していたのだろう(と言ってもそれ自体に時間はかからないので放置されていたに違いない)。あと、なぜか入れてもいない10cm四方の正方形の木材が入っていた。謎。
でも、正直70ユーロ近く払っておきながらもう郵送してくれない(し、たぶん返送もしないだろう)と思っていたので、フランスの郵便局もサービスが良くなったように思う。

*午後の追記
史料の読解。前にプリントアウトしていた60ページ分は終わるも、200ページ分の画像処理に一時間かかり、さらにプリントアウトがうまくいかずまだ終わらない。

2010年10月11日月曜日

本日の予定(10月11日)

土曜日は図書館でYさんの某企画の原稿。なかなか進まない。
日曜日は10時に大家さんと家の契約の話をした後ややダラダラ過ごし、2時くらいから5時くらいまで目の前の公園のベンチで来週のセミナー用のアサインメントを読む。以外に集中して読めたのと、論文自体が非常に面白かったので大変為になった。
夜は某企画原稿。やっと半分まで進む。
で、本日月曜日の予定
9:00-11:00:English Writing←と思って来たら先生がインフルらしく休みだった。もう一人の先生にメールを送ったのだが、と言われたのだけれど届いていない。
13::00-15:00:統合史セミナー
15:00からはEU法セミナーでVan Gent En LoosとCostaVs Enelについてのゲスト講演が統合史セミナーの隣の教室であるので聞いてみようかと思う。

*午後の追記
セミナー終了。出席者4名、うちVisiting Student1名、SPSの2nd year Researcherが一名、HECの1st year researcher(本来出席すべき対象)は一名のみ。その次には「政治と暴力」というセミナーがあったようだが(出てない)、こっちはほとんどの学生が出るようで、セミナーが終わった後大量の学生が扉の前で待っていた。
セミナーの内容はTony Judt, Postwar のLost illusionとSheehanのWhere Have All the Soldiers Gone?: The Transformation of Modern Europe のWhy Eurpe will not become a Superpower? の章がアサインメントで、テーマはFrom Warfare to Welfareというもの。議論はどちらかと言えばSheehanを対象として進んだ。Sheehanの議論の中心は、ヨーロッパ統合によって西欧国家は軍事的な性格を弱めCivilian Stateになっており、これがEUの今後を左右するのではないか、というもの。冷戦後の米欧間の衝突やユーゴ紛争に伴うヨーロッパの独自の安全保障能力の確保の必要性という方向性によってEUは安全保障上の領域の統合を目指すが、ナショナルレベルでのCivilian Stateの性格付けにより、EUはSuper-StateにはなってもSuper-Powerにはならないであろう、と述べている。
とりあえずセミナーで出された論点をリスト化すると
・国家Stateは本当にVilolentでなくなったのか。
・統合によって加盟国がWelfareを選んだ要因は国際的なものか国内的なものか(冷戦の文脈が大事か戦後国内経済の復興の文脈が大事か←このあたりはMilwardの議論を前提)
・Welfareとは言っても、エスピン=アンデルセンの三つのモデルから見れば、EUが達成したWelfareとはどのようなものだったのか。
・冷戦中においてなぜ西欧諸国は軍事的な性格を放棄しCivilian Stateへと変貌したのか。
・ユーゴ紛争(ボスニアからコソボまで)がEUに与えたインパクト
・70年代の統合への意味:ここはRomeroが述べたのだが、なぜ70年代の議論が出てきたのかよくわからなかったし、この時期に国家権力のLegitimacyが浸食したことに注意せよ、と言ったのだが、その文脈もよくわからず。

他にもいくつかあったのだが、とりあえずフォローできたのは以上。セミナーの進め方としてかなりフリートークと言うか、何をどう議論として進めてよいのか全く分からずかなり戸惑うのと、論点が次々と出され、それについて考えているうちに、あっという間に別の論点に変わっており(しかも、どうして論点が変わったのかも理解できない)、結局何一つ(四人しかいないのに)発言できず。
こういうときは、まず話す内容はあまり考えずに口火を切ってしゃべりながら話すことを考えるしかないのは分かっているのだが、私の英語力がそれに追いつかない。猛省の第一回セミナーだった。

その後に出席したEU法セミナーのゲストレクチャーは、一応ゲストの先生がしゃべるのだが、最近の具体的な判例の内容を紹介し、院生が質問・コメントするという完全な正式のセミナーの一環であり、事前になにも準備してなかったのでまったく付いていけず。てっきり、EU法における初期の二大判例の現代的意義を話すのだろうか、と勝手に予想していたが全く違っていた。内容としては、最近(2007-2010)フランスの判例を基に、NationalなConstitutional IdentityをEU法とどう併置させるか、というものだった、と理解したがもちろん怪しい。Legal SovereintyとかConstitutional Pluralismとか初めて聞く用語も満載だった。統合史セミナーの疲れがひどく、集中力もなく2時間ほとんど無駄にする。

2010年10月8日金曜日

本日のTo Do

・昨日プリントアウトした史料読解
・来週のセミナーのアサインメント読解

史料のページは9月に集めたものだけで5000ページくらいあり、それは見なければならない史料の10分の一もないことを考えると先は長い。

*午後の追記
(1)昨日接続に成功したネットワークプリンタへの印刷がうまくいかなくなりしばらく格闘。どうやら、再起動したり接続を外したりすると、その都度ネットワークへのログインが必要だったようだ。
(2)9月に受けたイタリア語のIntensivコースのテストが帰ってきた。100点中86点だった。語学はつらいな。学生の気持ちがよくわかります。しかし、例のヴィザの件で全15回中5回しか出れなかったのにこの点数とは。。まあ、試験自体が本当に全くイタリア語を知らない人が知るべき最低限の知識を問うようなものだったので。
la tua valutazione globaleが「ottima」と記載されていたのですが、このOttimaの意味が分からず、Ottimaで電子辞書を引いてしまい言葉が出てこなくて戸惑う。20秒ほどしてから、Ottimoで引きなおすと意味が出てきた。まあ、自分のイタリア語能力はこれくらいなもの。

2010年10月7日木曜日

本日の予定(10月7日)

ブログを付けるからには毎日つけんといかんなー。

すでに完了したこと
・自分のパソコンから大学のネットワークプリンタへの接続。この一週間うまくつなげなかったのをようやく完了。
午後の課題
・9月に収集した手持ちの史料のうち、有用なものをプリントアウトして読む。60年代中盤にENAからCommissionにStageしに来た人の内部レポートを読んでいる。10ページ程度なのに、分からないことが多すぎて一日で読み終われない。ちなみにこの人は今はフランスのオペラに関する文化政策で本を書いている。

本日の解決
・こっちに来てからずっと頭を悩ませていたアパート(トイレ)の悪臭について、朝9時に業者が来た。と言っても、作業は、バキュームカーらしき車から伸びている巨大なホースを地下?にある排水口らしき場所に突っ込んで何かを吸い取っているものだった。その後Roberto(自分は大家の家の屋根裏部屋の居候だが、大家さんの使用人ぽいフィリピン人。ものすごい親切)が来て、地下の排水をためているところへの排水管が短すぎて排水の水面上にあり、そこから悪臭が登って行ったのではないか、とのこと。排水管を長くして排水の中に入れる工事を2・3日後にすることで解決するだろう、と。
そうなることを祈るのみ。

2010年10月5日火曜日

プレゼン終わる

First Year Researcher's PresentationでFellowも自分の研究計画をしゃべるということで、自分の名前はなぜかなかったのだが、セッションに入れてもらってさっきしゃべった。大学院生にしろ、他のFellowにしろ、研究のバックグラウンドや博論のかいつまんだ内容を結構きっちり盛り込んで発表していたので、自分のプレゼンの準備の貧弱さに冷や汗が出たが、とにかく10分弱しゃべった。話し出す前はかなり緊張するものの、話し出すと割と調子が出てくるのは、講義の時と変わらない。
興味深かったのが、博士過程一年目の人の博論計画のプレゼンとFellowのプレゼンのレベルの違いである。博士課程の人はかなり大きな話の中で自分の関心がどこにあるのかを話すことに終始したが(なので何を言いたいのかがほとんど分からない)、Fellowの人は(僕以外)実証に関する内容もさることながら、問題の文脈と先行研究と研究の進め方が理路整然としていて、門外漢なのに理解できる。当たり前すぎるが、こうもはっきりと見せられると、自分にとっても勉強になる。
こちらの大学院生とて悩むところや欠点は日本のそれとあんまり変わらないように思う。ただ、前提で持っている知識が全然違うので、分野が違うと全く理解できないことと、悩みながらも形にするとそれが突然光りだしたりするので、なぜ研究が突如進展するのかを考えてみたいところだ。
いずれにせよ、疲れた。。。

明日からのTo Do
・来週のセミナー予習
・こちらの論文計画のためのアーカイブ調査
・先行研究論文読破
・締め切りを再三破っている某企画原稿(35%くらいしか進んでいない)

2010年10月2日土曜日

リスタート

記録にするとたぶん長文になってしまうが、件の問題はかろうじて解決され、9月の3週目よりまたフィエゾレの丘に戻ることができた。帰還早々より一日五時間の語学とレジストレーションのリスタートをやっているうちにあっという間に一週間が過ぎ、語学研修が終わった水曜日からは、ここでの研究をどのように(具体的な論文計画として)進めていくのかについて、論文や手持ちの史料等をいろいろ見ているうちに、これまたあっというまに過ぎてしまった。
今日は土曜日。空は素晴らしく晴れ渡り、Badiaから見えるフィレンツェの街は幻想的なまでに美しい。今日は以下の論文を読んで過ごした。
Knudsen, Ann-Christina and Rasmussen, Morten (2008), “A European Political System in the Making 1958-1970: The Relevance of Emerging Committee Structures”, JEIH, Vol.14, No.1, pp. 51-65.
Wolfram Kaiser & Antonio Varsori (eds.), European Union History. Themes and Debates, Palgrave, London, から、Ludlow、Varsori、Kaiserの章。
あと、JEPPのコピー、Cold War Historyのバックナンバーチェックをしていたらそれなりの時間になっていた。
来週は、手持ちの論文が持っている研究的文脈と史料の再確認と先行研究とのつきあわせ、CACとMAEで収集した史料の読解、それに、アーカイブにも行きたい。それにしても、HECではFirst Year's Researcher Presentationの枠組みでFellowも報告が割り当てられているのだが、なぜか自分の名前はない。結局こちらの先生に確認するのも忘れてしまい、そのままになってしまったが。。。万が一プレゼンするようにといきなり振られても大丈夫なようにFellowへのApplication時のプロポーザルに手を付けては見たのだが。何せ報告時間は10分。手を付けるテーマの概要とその意義をしゃべったらあっという間に10分が過ぎてしまうのは目に見えている。

さ来週からは本格的にセミナーも始まるので、自分の研究の組み立て方に気を付けながら、実証的な部分に手を付けていきたい。
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