2011年3月26日土曜日

戦争によって時代が区切られるのだとしたら、今まさに一つの戦争が始まり、そして終わりを告げようとしている

震災発生以来、ろくすっぽ研究が手につかず、ヨーロッパという地に居てああでもないこうでもない、と毎日悩み続けております。以下の文章は、現段階での自分の所感です。あまりまとまりはありません。こういう職業についている人間が書くものにしては(それが故に?)抽象的すぎるかも知れません。

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日本の状況はネットでしか把握できず、UstreamでのNHK配信も終了となった今、肌感覚として今日本が震災と原発危機にどう対処しようとしているのかは、断片的にしか分からなくなってきている。
(以後、「震災」と言った場合は基本的に地震と特に津波被害のことを指し、原発危機は福島第一に由来するすべての問題を指しこととします)

たとえば、今の原発危機、この状況がしばらく続きそうだが、その被害がいかばかりのものになるのかについて、けりがつけばまた人々は普通の生活に戻ることになると考えている人が多いのか、そうでないと考えている人が多いのか、どっちが大勢を占めているのかがよく分からない。「専門家」と呼ばれている人ですら、「最悪の結末」の程度が違う。もっとも、原発をめぐる現段階は、僕が第一報-すなわち福島第一の一号機から四号機までの冷却システムがすべて破壊された-を聞いたときに想像した最悪の事態である。すなわち、原発から放射能が漏れて周りの住民が避難を強いられ、放射能によって農作物・水が汚染され、日本に放射能汚染というレッテルが張られ、そして程度によっては原発の半径何キロかはしばらくの間-それが数週間であれ、数か月であれ、そして数年もしくは数十年であれ-立ち入り禁止区域となるのではないか、という事態である。最後については、きっと専門家であっても意見が異なることになり、最終的には「政治判断」が下されるだろうが、それ以外については、残念ながら、現実のものになってしまった。

もちろん、震災の被害にあった人達、原発危機によって避難を余儀なくされた人が、そんな先のことを考えている余裕がないことはわかる。でも、ある程度の「外野」の人間であれば、そのようなことをを考える段階にきていることは分かっているはずだ。

海外にいるからかもしれないが、今の僕には、今の日本の状況は、いわゆる有事そのものに映る。要するに戦争状態に極めて近いように映る。大量の死者、死を覚悟して国家に殉じる作業の存在、大衆レベルでの一般生活の制限、すべての国民が抱く「次は自分に降ってくる」という感覚。そのような状況が日常に現出する戦争状態は、それを経験することで社会に極めて多くのストレスを与え、それゆえに多くの人間に劇的な心情の変化をもたらし、そして国家を運営する業務への根本的な疑いを投げかける。だから、戦争によって、多くの国家は社会的政治的な転換を経験し、それはその国家の歴史にはっきりとした転換点を作り出す。

第二次大戦後の日本は、戦後復興と高度経済成長を成し遂げた後、内側に豊かな社会を作り上げたものの、国家的目標を失ったかのように、日本がどのような国家として生きるのかという目標をずっと立てれないでいたと思う。第二次大戦後の日本には冷戦の終了も戦後史の画期とならず、ずるずると戦後の世界を続けていた。それは文化的爛熟期ではあったとは思うが、政治的システムは機能マヒに陥り、社会的には閉塞状況に陥った。そんなことは誰でも知っている。でも、多くの人がなんとかしようとしていた問題は、解決されないままだった。

この3.11の大震災とそれに続く福島原発危機によって、戦後日本が歩んできた道は、ガラガラと音を立てて崩れ落ち、これまで考えていた、今から進もうとする道はがれきに覆われている。僕は終末論者でもないし、不安を煽りたい訳でもない。僕が言いたいことは、これから進もうとする道が進めなくなったことで、予想もしない形で、日本は新しい道を模索しなければならなくなったのではないか、ということである。このような形で日本が変わらなければならない瀬戸際に立たされたのは、とても悲しいことではなかろうか。


今回の地震は、千年に一度の規模だと言う。千年に一度の津波を想定外と言いたい気持ちは分からなくはないし、その規模の災害に備えることはおよそ財政的コストからして非現実的かもしれない。でも、日本の歴史はすでに二千年以上の時を刻んでいる。今から千年前と言えば、だいたい平安時代だろうか。平安時代から長い時間かけて、日本は今の姿へと歩んでいった。千年に一度の災害に耐えられない設備を作り、そしてその設備に被害が及んだ時、日本の狭からぬ地方に深刻な災害をもたらすのであれば、その設備を作った時点で、極論すれば、日本の歴史はあと千年でおしまいになることを意味するようなものではないか。

日本の原発政策は変わっていかざるを得ないだろうが、それでも原発に電気を依存せざるを得ないのであれば、たとえ統制が取れなくっても周りに与える被害が最小限になるようなレベルに抑えなければらないだろう。そうでなくとも、これまで原発の議論は結論ありきだった。結論ありきでは議論は成立しない。この話題で健全な議論が成立するか、まずはそこが問われてるのだと思う。

今回の震災によって「何か」が終わりを告げた、ということはすでに多くの人が指摘している。震災で苦しんでいる人、今放射能の恐怖と戦っている人にとって、そんな歴史的視座の問題は、さしあたりどうでもいいかも知れないし、実際どうでもいい話なことも自覚している。

しかし、たとえそうであっても、この大震災は戦争の様であり、そして過去の戦争と同様、この国の形を変えるものである。ただし、震災はたとえどれだけ被害が甚大であっても、敵が不在という意味ではやはり戦争とは違う。終わりもはっきりしない。敢えて言えば、原発の冷温収束の実現がそれに当たるだろう。それがいつになるのか目途が立っていないという意味で、今はまだ戦争が終わっていない段階である。終わっていない段階で何が言えると言うのだろうか。

しかし、自らの専門分野のマージナルな知識が、戦争が終了する前にこそ、戦争後のことを考えなければならないことを私に囁いている。ジャン・モネがアルジェで戦後ヨーロッパ秩序を構想したように、この危機が収束に向かっていることをうかがわせているときにこそ、次の時代には前の時代のどこを修正し、一体何をしなければならないかを描きださなければならない。

特に原発危機に際し、政治に何が出来て何が出来ないのか、政治とはどのような現象で何が問題となるのかは、ある意味非常にはっきり人々の前に映し出されたのではないかと思う。はっきりと映し出されたと書いたが、自分自身それを明確に言語化するところまでは行っていない。しかし、重要なのは、たぶん、これからは従来の政治学的な立場-現実の政治をどう行うかについて政治学はあまり立ち入りませんよ-ではまずいことであろう。日本における政治学界の片隅に生息している研究者として、この事態が投げかけているのは、無力感である以上に挫折感でもある。東大総長は今こそ「知」が問われるときだと書き、それはその通りだと思うが、知のあり方も変わらざるを得ないかも知れない。実学とかそういう意味ではなく、社会に役立つ「知」とは何かを考えていかなければならない。

もうひとつ、今回の危機でさらけ出されたのは、日本が独力でこの危機を解決できなかったことである。それは恥ずかしいことではない。それよりも、結局日本が頼ることが出来たのがアメリカだけだったという事実の方が重要である。中国も韓国も救援隊が駆けつけてくれたが、原発危機や復興などの連帯は不可能だった。ヨーロッパは距離もあったが日欧とも救援隊以上の連携を考えていなかったように思う。僕は、このような日本の国際社会から孤立はとっても不幸なことであり、自分の首を絞めかねないように感じる。


取りとめもなく書いてみたが、日本に流れていたゆっくりとした、しかし淀んだ時間が、今一斉に濁流となって、日本の歴史というか社会全体を変えていっている様を、今私はヨーロッパから見ている。同時に、その変わっていく先がいい方向へと向かわせる義務が、日本人である自分には課せられているのだという責任感を強く感じる。たぶんそれは、海外にいる日本人が多く感じていることではないだろか。

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