2011年3月13日日曜日

ヨーロッパから見て

イタリアに帰ってきて、日本のニュースはトップ扱いだけど、街はいたって平穏なので、実にやるせないです。
研究は手につかず、ほとんど一日中ニュースを追い続ける。地震発生から72時間が迫っているけど、今日本が直面しているのはそれぞれ異なるベクトルの六つらいの五つくらいの問題を同時にクリアすることが求められているように見える。

第一に、生き埋め等になっている人の救助。絶望的だがやるしかあるまい。一刻を争う。

第二に、孤立している人達への救援。これも一刻を争う。

第三に、東北・北関東における避難している人々への支援。これは一刻を争うものではないが規模が大量。

第四に、原発問題の解決。現在IAEAの事故レベルだと4だが、対応を誤るとそれが5にも6にもなるのではないか。そうしたら、日本、特に北関東はさらに壊滅的な打撃を受け、国際的にも深い爪痕を残す。だから各国はものすごい関心を寄せている。これは、すでに起こってしまった出来ごとに対する措置ではなく、これから起きることを最低限に封じめる措置である。福島第一三号機への措置に対するニュースが随分ないが、まだ峠は越したという発表はない、これが発表されない限り、エマージェンシー状態は続くことになる。

第四に、疲弊する社会を上手に回していく措置。

第五に、復興への道筋をつけること。さらに、従来から懸念されている東海・首都圏直下型地震に対する備えをどう見直すか、ということ。


外にいると、今おそらく日本を覆っている不安感というものが皮膚感覚として感じることが出来ない。自分が日本人と分かるとこちらの人も大変心配してくれるが、しかし所詮遠い海の向こうの話である。私と離れれば、サッカーとか日常の話題に戻っていく。だから、とてももどかしい。

英米の新聞で日本を励ましという記事を見るが、フランス系は次のように報じていた。自分が読んだのは、三大新聞のLe Monde(高級紙)、Figaro(保守・右派系)、Liberation(左派系)だけだが、どの新聞も、今回の地震の規模にかかわらず首都圏の被害が大変少なく、パニックが起きなかったのは、ずっと日本が地震対策を取り続けていた成果であることを強調している。日本人は地震の時何をすればよいのかが頭に叩き込まれている。これはすごいことだ、と。
しかし、Figaroには次のようなことが書いてあった。世界に類を見ない耐震社会を作り上げた日本人は、確かにそのようなシステムを作り上げる能力にたけている。しかし、その場その場で判断しなければならない状況では並み以下の能力しか発揮できない。神戸大震災に対する対応は悲惨だったのだから、と。

日本人だからがんばれるさ!、とも、日本人だから無理、と言うつもりはない。しかし、困難は乗り越えられなければならない。それは希望的観測ではなく義務であると思う。
そして、それは誰かに言う言葉ではなく、自分自身に刻む言葉である。

だからこそ、自分にできることが何なのかをずーと考えています。自分も、ある分野の専門家のはずなのに、何の役も立てそうにないのが恥ずかしい、と。と言っても、当座できるのは募金ぐらいしかないんですね。

0 件のコメント:

コメントを投稿

QLOOKアクセス解析