2010年12月12日日曜日

今週の記録

ふと気が付いたら一週間が過ぎていた。
フィレンツェはクリスマス前の非常に華やかな雰囲気満載で、歩いているだけで楽しい。今住んでいるのは、中心街からバスで10分強の少し離れた住宅街だが、通りにはクリスマス用の電飾も飾られいる。

◎月曜日
・久しぶりに英語の語学コースに出席。当初は英語論文執筆のための実践的なコースと思っていたが、最近は本当の英語の細かいところを詰めていくような内容に。今日は、Ponctuationがテーマで、コンマ、ピリオド、コロン、セミコロンの使い分けについて。セミコロンを使いこなせるようになったら一人前なわけだが、分かっていても難しい。

・午後からは統合史のセミナー。70年代におけるECと南北問題がテーマで、
Thorsten B. Olesen, The EC and The New International Economic Order: A United or Divided Third Force?, Conference on the History of European Integration. From Crisis to New Dynamics: the European Community 1973-83, 11-12 Feb 2010.
Guiliano Garavini, The Colonies Straiks Back: The Impact of the Third World on Western Europe, 1968-1975, Contemporary European History, 16/3, 2007.
がマテリアルだった。
発表はRomeroが最後みんなあたったので自分がやろう、ということでしゃべったのだが、最初に大きな問題には言及して、議論するまでもなく終わってしまったような。しかし、OlesenにしろGaravaniにしろ、南北問題がECに対して大きな影響を与えたのは確かであるが、問題はそれに対してECがどのように対応したのかがどうもまだイマイチ詰め切れていない印象があることである。質問したら、確かに、主要国家の対応とECとしての対応がどのようなものだったのかはまだ正確に解明されていないとのこと。懸命にUnifyしようとしていた側面もある一方で、分裂していた側面もある。この内容上の分裂とUnifyメカニズムとしてのEPCとの関連もまだ詰め切れていない。あるアジェンダがなぜEPCで取り上げられてなぜあるアジェンダはオミットされるか、等(これはAurellieがある程度補足したが)。

メモ的に気になった点を挙げると、Aurellieに言わせると、73年のヨーロッパ・アイデンティティ宣言が出されたことに対してオイルショックが何らかの要因になっているという証拠はない、とのこと。

マテリアルについては、Olesenのペーパーは、EUIのサイトにアップされていたものが実はコピーが途中で切れていたことがわかりちょっと消化不良。Garaviniについては、よく読むと一次史料に基づく実証がほとんどなく、結局何が新しいのか分からないことが議論として出された。

今季取っていた統合史のセミナーは、Romeroと最近の研究動向の傾向を反映して、70年代と対外的側面が主として取り上げられた。印象に残ったのは以下の点。
(1)70年代における対外的自立傾向は自明で、それが他の文脈の広範なダイナミズムとどのようにつながっているのかが、研究されている。
(2)リエゾン主流の80-90年代と異なり、フランスと○○、西独と○○、というような研究は非常に少なくなってきている。存在するのは、新規参入国の場合(デンマーク、アイルランド等)。BAC、CMとキーとなる国家の史料を突き合わせることがほとんど。ただし、マルチラテラルではあるのだが、多くはEC+二カ国で頑張っている人は三カ国で、四カ国以上の史料に当たる人は稀。
(3)対外的ダイナミズムと対内的ダイナミズムとのかかわりは重要。このあたりは、自分の感覚は間違っていなかったことを再確認。
(4)これをこんなところで書いても仕方がないが、2006年の比較政治学会のコミトロジー論文や、2007年の国際政治学会の論文は、発表した後、すぐさま英語で書き直してどこかに投稿なり別のこちらの学会に発表すべきだった。もちろん、どこまで反応があるかどうかわからないが、それでも、改めてその後発表された研究論文などを読み直すと、自分が書いたことはそんなに間違ってはいないように思う。この二つのテーマはさらにフォローアップして論文にまとめる予定ではあるが、はて。

◎火曜日
実はあまり記憶がないのだが、某企画校正がメインか。日本から注文した書籍を受け取る。某企画の校正は、提出原稿が史料調査の途中で出したものなので、かなり苦労している。

◎水曜日
アーカイブへ。夕方は研究所のセミナー。EUIにあるFlorence School of Regulationという研究グループに所属しているフェローの発表だったのだが、全くと言っていいほど理解できず。基本は経済学で、ある所与の環境がおかれたマーケットにおいてその環境がどのように変わると、そこに置かれている企業はどのような行動を取るともっとも合理的か、というものだった、と思う。

◎木曜日
朝は、こちらの研究所で自分が選ばれている枠内のフェローのセレクション会議があったそうで、その責任者?の教授が、今過ごしているフェローの現状を確認したいということで、カフェで少しその教授とお話しした。でも実はその教授はなんと前EUI学長のとっても偉い人だったのだが、大変気さくな人だった。EUI学長はEU官僚と政治家が多いのだが、学者は彼一人だけではないだろうか。
ところで、彼をしゃべっていると、知り合いのフェロー(女性)がコーヒーを飲みに来て、前EUI学長が去った後彼女と少ししゃべったのだが、最初は前EUI学長とセレクションのことについて僕が話し、その後フェローとして各地を転々とする苦労について彼女が話した後、途中で彼女がいったい何をしゃべっているのかが全く分からなくなった。とてもうれしそうに何かをしゃべっているのだが、本当に何について話しているのかが分からなかった。彼女はアメリカ人で、アメリカンな流暢な英語は聞き取りにくいというのもあるかも知れない(自分には流暢なドイツ人・デンマーク人の英語が一番聞き取りやすい)。分からない、というのも言えず、適当にお茶を濁して別れたのだが、最近英語ばかりの環境で、英語にはかなり慣れたと思ったにも関わらず、ちょっとショック。

お昼は、食堂でばったり会った、R大からこられているIさんとご同席。

午後からは、最後のInternational Historyのセミナーへ。出席者の大半を占める博士一年目の人たちは、今Seminar Paperの締め切り直前で、出席者はいつもの半分くらい、しかも、ほとんど誰もマテリアルを読んでこない、という状況。

テーマはベルリンの壁崩壊1989で、Bozoの英訳本をめぐるH-DiploのラウンドテーブルとSarotteの単行本のIntroと結論部分。
しかし、議論はもっぱら、直近の歴史を記述するための方法論、情報化時代、特にWikileaksのような事件が起こるような現在における歴史記述のための方法論がもっぱらだった。Garton AshのGuardian記事がやり玉にあがる。

ところで、International Historyセミナーでは、長らく「アジア的視点」を代表して話に参加していて、これはもう嫌でたまらなく、なんとかそんな視点からでないところから議論に割り込んでいけないか、と常々思っていたが、ようやく最後になって、普通に議論に割り込んでいけたし、自分の発言を受けて議論が続いたし、自分の発言に周りのResearcherもなるほどと頷いてくれた。と言っても、彼らは自分より10歳は若い世代なんだが。。

それにしても、語学とこのセミナーに出席したお陰か、EUIに行けば必ずだれか知り合いとすれ違うようになる。まあ、EUI自体が狭いからだろうが。。

◎金曜日
アーカイブが10時半から空くので、午前中は家で校正作業。お昼を学食に食べに行って、午後はアーカイブ。アーカイブは5時に締まるので、その後は家族へのクリスマス・プレゼントを求めて町中へ。
帰宅してからは、日本の大学の共同研究の作業と、某企画校正。

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