ブリュッセルは、日本だとアールヌーボーの街として有名なのかもしれないけれど、実際に街を歩いてみると、いろんな建築様式がごちゃまぜになっており、あんまり統一感がないように感じる。グランプラスはきれいなのだけれど、きれいな町並みはごく一部に限られ、あと猥雑でありかつ薄暗い。
そうは言っても美しいグランプラスの夜景
今書いている日本語論文の関係で50年代のベルギー外交について調べているが、ベルギーというのは矛盾に満ちた国で、外交だけとっても、スパークだけに還元できない、非常に入り組んだ国内構造が実は外交にも反映されていることに、ようやくのことながら気付いた。いや、ベルギーはその歴史的背景と地政学的な構造から、誰が政策を担うことになっても、あまり外交の基本方針は変わらない、と思っていたのだけれど、そして確かにそれはある程度そうなのかも知れないけれど、実はやはり国内の多様性は外交に複雑なあやを持ち込まざるを得なくした。
ベルギーのヨーロッパ統合史研究は、Louvain-La-Neuveを中核として非常にアクティブだが、やはり、この大学がフランデル圏に統合・共存出来なかったフランス語圏大学というアイデンティティを持っていることを忘れてはならないと思う。ヨーロッパという足場がなければ、彼らはフランデルの中に埋没してしまう運命にあり、それゆえ、彼らの描く統合史には、国内的なあやというものは極小化される(まったく捨象される、とは言わないが)傾向にあるように、今更ながら感じるのである。あと、彼らが取り上げるベルギー人は基本的にワロニーである。Camille Guttのようなうまくハマらない人は取り上げないし(Guttはベルギーのベイエンのような人だがベイエンにはなれなかった)、ティンデマンスが活躍する70年代以降はどうするんだろう。
といいつつ、ベルギーとヨーロッパ関係だとほとんど彼らしか書く人いないので、ブリュッセルの本屋に行ったら、見つけた新刊を買ってしまった。
Vincent Dujardin & Michel Dumoulin, Jean-Charles Snoy. Homme dans la Cite, artisan de l'Europe 1907-1991, Le CRI, 2009
そして、Fracではティンデマンスの1980年代の首相期の回顧録を購入。
Leo Tindemans, Een politiek testament, Lannoo, 2009.
ところで、グランプラスの北側の裏に、非常に近代的な趣の入口の建物があり、一体なんだろうなあとのぞいたら、フランドル地方の観光案内所だった。全く気のせいかもしれないが、二年前に来た時よりも、オランダ語だけの広告が増えたように思う。昨日のオランダ語ニュースではVlaams Belang(フランデル地方の独立を主張する極右政党)のニュースがエジプト情勢より先だった。それにしても、オランダ語だったのでよく分からなかったのだが、ニュースの内容はVlaams Belang所属の女性政治家が亡くなった記念日だったようなのだが、ニュースの中心にいた女性政治家がいったい誰なのかが分からない。書店に行くと、ベルギー後のベルギー(つまり今のような連邦制ベルギーが解体したあとベルギーはどうなるか)と言った本が珍しくなくて、とりあえず次の本を買って読んでみた。
Michel Quevir, Flandre - Wallonie, Quelle soridarite?, Couleur Livre, 2010
ざっとしか読んでいないが、既に定年退職した社会学者が書いたものなのだが、フランドルの経済発展は歴史的に見ればフランドルが貧しかった19世紀から20世紀前半にかけての投資(鉄道網・港湾施設)に大きく負っているばかりか、戦後だけみても連邦政府からより多くの補助金をもらっているし、ワロン地方の経済発展率はEUの諸地域と比較すれば平均以上であるという。
それで一体どうやってフランドルとワロン間の連帯を確保するのかと言えば、よく分からないというか、フランドルの愛国心はベルギー独立時からあったことや、現在フランドルがワロンに対して行っている言動は社会学で言うところの「スティグマ化」そのものであることを理解すること、といった風に、歴史と現実とヨーロッパの他の地域の現状を直視すれば、この両者が過度にいがみ合う必要はない、と言っている以上のものではないようである(ざっとしか読んでいないので)。あと、ワロニーがもっとフランドルの言語と文化を知悉するように、と書いてあるので、読者がフランス語話者であることを想定すれば、一番妥当な提案なのかも知れない。
フランドル観光案内所
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