2010年10月18日月曜日

10月18日

9:15-10:45:English Writing 時制の文法問題、ディクテーション、わざとクロノロジーをバラバラにした文章をもう一度組み立てなおす練習。ディクテーションは難しい。

13:00-15:00:統合史セミナー。本日は脱植民地化がテーマ。統合史と脱植民地化はどのようにつながっているのか、脱植民地化は何故起きたのか、を二大論点にして議論がスタート。出席者は自分を含めて4人だが、HECの院生が親戚か友達の結婚式のため欠席とかで3人のみ。
以下セミナーの議論の記録。まず最初に、報告者が簡単な内容報告と論点(上記の前者)を出したのだが、なぜ統合史セミナーで脱植民地化の文献を取り上げたのかという問いがRomeroから出されて、それに自分がヨーロッパ国家の力の衰退により帝国の維持とヨーロッパ統合の両立が不可能になったためヨーロッパ統合に取りかかろうとした西欧諸国家は脱植民地化することとなった、ということをしゃべった(実際の英語はもっと単純な内容でしかしゃべっていない)。
するとRomeroがその理解はあまり単純すぎるということで、統合史と脱植民地化のリンケージは以下の三点と指摘する。
(1)ヨーロッパの衰退(という点でこの二つは同じ潮流)
(2)ヨーロッパ自身の変化(社会、人々の価値意識、外交的手法)
(3)国際システムの変化:戦間期から冷戦へ
①についてはまあいいとして、Romeroが強調していたのは(3)だった。植民地が形成されていた英仏が帝国だった時代は、国際システム自体が英仏を中心とするものとして機能していた。戦間期にはそのシステムはすでに衰えを見せてはいたが、冷戦になるともっと劇的な変化が起きる。それは米ソ(特にアメリカ)による人々の自己決定と民主主義の価値をめぐる対立だったので、第三世界の人々の自己決定を即す脱植民地化は冷戦という国際的文脈においては非常に好ましいものだった、という説明。
(2)については、ヨーロッパ統合というのはナチ自体もそうで、1930年代のNaziの政策はEuropean Projectだった。アメリカに対する対抗、ヨーロッパ自身の経済的・技術的・政治的結集しかし、Naziが失敗した理由の一つは、Naziがそれまでヨーロッパ域外の国家に対して用いられていた植民地主義的ロジック(Racialなもの、強者が弱者を征服し支配するというもの)をヨーロッパ域内に持ち込んだことで、これはヨーロッパの人々には受け入れ難いものだった。
また、第二次大戦をはさんだ変化として、外交上の振る舞いとして、征服、支配、コントロールと言った行動から規制、合意(妥協)、交渉、という風に変化があった(なぜそのようにな変化が起きたのかはともかく)。
サブ教員のAurerieからは、脱植民地を促進した要素として、経済発展を受けて、「成長」というものを人々が非常に重視するようになった、という指摘。

議論(というかRomeroからの説明)はもうちょっとニュアンスに富んだもので、どうも日本語にするとそのニュアンスが飛んでしまう。これは、ニュアンスに富んだ日本語を英語にしようとするとものすごい単純化されたものになってしまうのと似ている。

今回は、発言はできたが、議論に対してあまり貢献できなかった。なかなか難しい。

セミナー出席後はオフィスに戻って某Yさん企画原稿。
ところで、隣のオフィスにデスクがあるカナダ人の女性のFellowのアパートにすごい数の虫が発生して大問題になったそうだ。直接本人から聞いた訳ではないのだが、恐ろしい。。。

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