今日はMentorのセミナーだったが、昨日のセミナー発表のため文献を全く読んでおらず、指定されていた分量のほとんど読み切れないまま出席。どうも疲れがたまっていて欠席しようかと思ったが、それではこちらにいる意味がないので、がんばってセミナー室に向かう。
今日のテーマは国際連盟で、Wilsonian Momentについて評価をめぐって議論は進んだ。
最初は、課題文献において第一大戦終了後第三世界(エジプト・中国・インド・Korea)の指導者の多くがマルクスレーニン主義的なAnticolonialstになったのはなぜか、というテーゼをめぐって。
その後もイマイチ論点があんまり興味深い感じがせず、発言も一度だけ。国際連盟が機能的に見れば、知識人にせよ経済問題にせよネットワークを形成し知識の伝達が果たされていった点を最新の研究はTransnational Historyの側面から研究していているが、これは旧来のCosomopolitalismとどう違うのか、という問題が出てきて、その文脈において、アジア諸国から見ればそれまで西洋的知識にはある程度の文明的標準という性格が付きまとっていたが、国際連盟が作られ知識伝達の制度化が行われたことで、従来の文明標準という性格付けが薄れたのではないか、そうならば、制度化という点においてCosmopolitanismと国際連盟におけるTransnationalismは違う、ということをしゃべった。正直、この考えがどこまで妥当なのかは自信がないのだが。。。というか、たぶんこれが日本のセミナーだったら、こういう仮説はどうか、という風に提案できるのだけど、アジアを絡ませるとアジア代表みたいになってしまう。正直これは結構問題である。
しかし、セミナーが終わった後、図書館に向かう道でたまたま一緒になったこれまで話したことのない出席者の院生(ドイツ人)が話しかけてくれた。戦間期を研究しているということで、僕の発言は非常に興味深かったそうだ。日本人はおろかアジア人もほとんどいない環境なので(日本人は四人だけで中国人がちらほらいる程度)、一応アジアの歴史はこうなっています、ということを(も)時には話さざるを得ないのだが、やはり19世紀や戦間期あたりはかなり自信がない。やはり日本政治外交史と東アジア国際関係史の教科書は持ってくるべきだったなあ、と反省。
ところで、ドイツ人院生とはその後バールでお茶を飲みながら世間話をしたが、なぜかおごってくれてドイツ語でお礼を言ったら、えっ?しゃべれるの?と聞かれ、必死にドイツ語勉強歴をドイツ語でしゃべってみた。ひとしきりしゃべったら会話は英語に戻った。やや微妙な感じだが、こちらで知り合ったドイツ人とちょっとドイツ語で話すと確かに驚かれるのだが会話はすぐ英語に戻る(こちらがドイツ語で会話を続けられる程度ではないと向こうも分かるから)。これが、フランス人相手のフランス語だと会話はどこまでもフランス語で続くし、向こうも英語に戻す気はさらさらない。
第三国で独仏双方を見てみると、正直なぜ独仏友好が成立したのか不思議なくらい気質は違うなあ。「理性的な結婚」という説明が実感として伝わってくる。
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